やっぱ好きやねん | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

大阪環状線の発車メロディーが、

故やしきたかじん さんのヒット曲『やっぱ好きやねん』になるそうです。

昨日のうちに発表になってるから嘘ちゃいますよ~(笑)

JR西日本が発表したとか。

粋な事、人情が厚い事、しはりますなぁ。


トークの時のダミ声と歌声の艶やかさのギャップに子どもの時に衝撃を受けました。


三月三日のファンに解放されたお別れの会も体調が良ければマジで大阪行きたかったんです。

定期試験勉強や受験の時に、深夜ラジオを聴いていました。

懐かしいなぁ~…

AMでトークを聴いて、FMで(ライブ)音楽を聴いていました。

めーっちゃ毎日予習復習で深夜まで起きてないとあかんかって、平日はそうしてて、

当時は土曜日も授業があったから、帰ってきて日曜日の夜迄は、

テレビ見るか爆睡するか(笑)


テレビゲームも無かったもん。

ポケベルもなくて待ち合わせ大変やった。


だから地図も路線図も読めたし、最寄り駅の小さな紙の時刻表貰って定期入れに挟んで、

例えば梅田までは何分かかって運賃何円、っていうのは、小学生でもう覚えてた。

勉強や習い事には母は熱心で、どうせならと最寄りの教室ではなくて、梅田まで通わせてくれた。


同じ梅田でも当時は小学生だったし阪急千里線沿線に住んでいたから、西梅田や東梅田に行かないで、せめて楽譜を紀伊国屋書店に見に行くか、キディランドに行くか、輸入お菓子屋さんに行くかしかしなかったなぁ。

オーディション前は界隈の教室のスタッフさんが連携して下さって本番用の高級楽器を置いているスタジオを押さえてくれて、

ヘップも第1ビルも北阪急も30分から一時間刻みで演奏させていただいたなぁ。


けれど父は芸術センスも無かったし、子どもが出来たら男女関係なく四年制大学の、しかも国立か有名私学に附属からではなく、大学一般入試で挑戦する事に頑なだったなぁ。

音楽教室も上に上がる度に人数が減って最後は音大受けるん?ってくらい学典も実技もみっちり個人授業になったなぁ。


母は若い頃、シャンソンを習ったりピアノも弾けたから、音大とは言わなかった。

それなら東京に維持でも残って父だけ大阪に行かせたと思う。

音大は東京でないと意味がない!とこれまた頑なだった。


思い出しちゃった。


まあ、それはそれは厳しく育てられたので、決まらないうちはそうでも無いけれど、やると腹を据えたら簡単には諦めませんね(苦笑)


二人の子どもなので滅茶苦茶頑固だし自分に高いものを求めます。


また長くなっちゃったよ(苦笑)


父には東京の水は合わなかったんだと思う(苦笑)


やんちゃで頭がよくて情に厚い。


両親やきょうだいと早くに死に別れたから、他人の命や不遇故に多少屈折してしまった心までも本当に自分の身内のように大切にした。


熱く優しい人だった。


私は解ってたから甘えなかったし一杯反発した。


ホントは淋しかったんだ。

一瞬でもお父さんを独り占め出来た事なんてあるかないか、なくらい記憶に無い。


母も人様を先に助けに行っちゃうから。


弟と二人でなんとかしてたなぁ。


私は弟の小さな両親のつまりだった。


だから弟を頼む両親にホントは『たまたま三年先に生まれただけで私だってまだ子どもなんだけど。親にみてほしいんだけど。』は遂に言えなかった。


それでも弟に見返りを求めた事は無いよ。


両親が安心して自分の理想を形にする事に協力はしても邪魔をするのは大好きだったから嫌だった。


ある日友達に『親子の機能が逆転している』って指摘されるまで全くそれが当たり前で皆子どもはしているものだと思ってた。


当たり前だった信じてたものが土台から揺れた瞬間だった。


指摘したその子の親御さんもお祖父さんもお祖母さんも地方出身だけれど、


皆さんご健在で典型的な機能を果たせていたご家庭だったから、

私の家を不思議に思ったんでしょうね。


それと機能不全の家に育った私が独学して伸びたら何だか機嫌が悪そうだった。


今思うと、考えたくないけど、家族が揃っているという理由で、潜在的に私を下に位置させたかったんだと思うよ。

奈良女子大大学院を受けて結果待ちの時に親友と思っていたから小さな声で打ち明けてみたら『受かる訳無いやん!』って電車の中で決めつけて何故か叱られた。

試験担当の人でも無いのに。


以来、受かった事も、引き続き京大に進学した事も、絶対に言わなかった。


私が何を頑張っても彼女の頭の中では、私は常に下にいるから『そんなはずない』としか言わないと解った。


親友なんじゃなく、私には無いものが多いから『持ってるよ~』って…


一度は親友と思ってくれたから書きたくなかったけど、『親友』という言葉とそれからのイメージで、私は彼女の緩い支配下というか、

甘えられる相手になってしまった。


いつも相談されて、彼氏と旅行する際のアリバイに使われて。


そのくせ人前で私を馬鹿にする事に躊躇が無かった人が寄って来てた。


それって人気があったのとは違う気がする…


道具にされていたんだな、って。


そういう人は私が自我を示したら怒り出したり余計に意地悪をする。


だからもう私は従属関係は真っ平ゴメンなんだぁ…


その点、ファン、ていうのはいいよね。

節度あるもの。


だからファンを利用するような、あるいはそれを私ごときに読まれる運営をしている事務所には、

本当に傷つけられたし、まだ癒えていない。


ま、後半はエイプリールフール、という事で(^_^;)


書くと文字が視覚情報になってまた脳に刻まれて辛かった状態に自分が戻っちゃう…

だから、安定剤飲んで寝ます。

明日はお姉ちゃんお仕事お休みなので、ケアする私は少し気が楽です。


ではまたパー