でも、所詮は机上の空論だし、
もしかしたら、
現実には叶わないのかもしれない

嵐みたいだよ。
見事に動かなくて。
やっぱり心のどこかで、
頑張ろう、とか、
踏ん張ろう、とか、
盛り返そう、とか、
あるいは、現状維持!
って思っていたのかも。
これも不思議なキモチ。
時が優しいと思う事もあれば、
残酷だと思う事もある。
たぶん、だから、
四次元目に時間の概念を取り入れるとは限らない、
数学の世界に逃げ込んだんだと思う。
時を刻む数字の羅列は、
ただの数字の羅列、ただのデータ。
それが時間という意味を持つから苦しいのだと。
その概念に心が囚われて苦しいのだと。
昨夜は歌が殆どで、つまりは歌詞を持つから、
日本語で意味を持って、
ヒット曲なんて歌うから、
その世界観は素敵かもしれないけれど、
関連付いて脳裏から引き出されるモノタチにも意味がついていて、
つい、心が封印している事さえ、勝手に解かれて出てきてしまった。
歌のチカラがあるのだとしたら、
与えもするし奪いもする。
今日は嵐で、自然がパーカッションだけのパワーのある音楽を、ただひたすら聴かせてくる。
昨夜は震災に関わってしまった人(視聴した人も含む)を励ます企画でもあった。
番組が終わってもう外は現実の嵐。
守られている(はずの)スタジオで、それこそ、頑強な囲いの中から、ブロードキャストしていて。
その時空間から一歩出たら、現実が待っていて、
春の嵐。
雨漏り大丈夫かな…
歌遊び、言葉遊び出来る程の余裕なんてなくて。
お姉ちゃん、ちゃんと帰って来れるかな…。
遣り過ごすとかの判断出来るかなぁ
私も聴覚過敏の中の嵐をどう遣り過ごそうか。
見事に身体は動かない。
(早く安心できる場所で安定剤飲め、っつーの!笑)