息子の時に手術室に入ったら私の名前がカタカナで書いてあり、開腹手術が二回目である情報が併記されてた。
一回目は術後集中治療室で沢山の管に繋がれて身動き出来なかったので、
開腹する時点でもう時間がかかってた。
まあ、具体的な事は思い出すと壮絶だし、忘れたいと思うくらい気弱なので、このへんで。
兎に角、二回目に美しく一回目の傷痕を整形していただいたんだけど、
どうやらケロイド体質らしくしっかりまた癒着しているそうです。
なので、オンナノコの時期や、神経性や感冒性胃腸炎になると、一緒に引き連れてかなり痛い

不思議なもので痛いと昔に関係あった辛い事を思い出す。
私の親、特に母は、言葉は数あるだろうに、何故か聴いて不快になる言葉しか投げて来ない。
初潮の時に汚いものを見るような目で見たり、処理を教えては貰えなかった。
なにかあると『学校で習ってないの?』と学校に責任を丸投げしてた。
『もう、そんな歳になったんやねぇ。あの赤ちゃんだった子がね~。』ではなく、
大人になりかけの私に先に奇異な目を向けたのは母だった。
私はあれ以来ずっと、月経も結婚も出産も…兎に角、自我を持ってから何もかも受け入れられないみたいです。
痛い…と何度保健室から連絡があって帰宅しても、おそらく神経症くらい潔癖症の母は、
私の汚物を娘のだけれど触れなかったみたい。
だから家族で体調が悪くても処理が本当に神経質で、いつも家は漂白剤のツンとした臭いがしてた。
苦手な私は気分が悪くて辛くなる事が多かった。
…と、芋づる式に遠い記憶が出てくる。
親が向ける子どもへの嫌な顔ほど子どもに恐怖を与えるものはない。
だから痛みで心も辛くて眉間に皺を寄せて耐えながら家事をする私の顔が怖いらしく、
また、ふらふらで、あちこちぶつかりながら無理したり、
つい、今自分でした事を忘れて『あ、やっといてくれたの?ありがとう…』と息子や娘にお礼を言う私に、
「もう、いくらなんでも見てられないから、お願いだから寝て

言われるまで、そこまでになっているとは気づかなかったけど、
そう言えばあちこちぶつけて痛いし、癒着部分も痛いし、間違えちゃうみたいだし、
素直に従う事にしました。
この二日間頑張り過ぎました…
でも子ども達の事だから。
途中で今日の目標は『お家に無事に帰る事』になりました。
だからいいよね

よく頑張りました

外で痛みでパニック起こしたり動けなくならないでヨカッタです

神様、皆さん、御加護を有難うございますm(__)m
