3年前の今日、地震発生の速報は、担当医の画面で知りました。
今でも専用回線が引かれているので切り替わった画面を忘れる事は出来ません。
東方沖の状態を映す地図は、理科系の人間なら、物理を多少履修した人間なら、
それから何がどんな規模で起こるであろうことは、
想像に難くないから。
瞬時に、私は、その画面に言葉にならない程の大きな大きな大きな怒りをぶつけていました。
私にできる事はリスクマネージメントで被災地に入るであろう担当医に逸早く動ける時間を差し上げる事。
今必要な薬の数だけを申し出て「次が予約できるようでしたらお願いします」とだけ告げました。
あれから何度も診察はキャンセルになりました。
今日はしっかり黙祷をしました。ふんばりました。阪神淡路の時のそれも思いだしましたけれど、
それでもしっかり見つめました。
それから体調が悪くなりました。頓服で安定剤を二倍飲んで先ほど起きました。
私は未だたかだたDVだけれど理解がなされていないので、被災者と同じ感覚で生きています。
シングルマザーが思う孤立感もなかなか解って貰えないため、心が孤立します。
忘れないで居て欲しい。けれども腫れものに障るようにはしてほしくない。
普通に個人で関わって欲しい。それだけです。
けれど、それが叶わないですよね。絆ですもん。
それも解っています。色々ありますよね。色々。
子どもの頃の怖いフラッシュバック、ドメスティックヴァイオレンスのフラッシュバック、阪神淡路のそれ、子どものイジメのそれ、今回の震災のそれ・・・
発達障害のうち一度にたくさん覚えてすぐ回答するという能力は低いのですが、一度衝撃的な事が刷り込まれるととても長く記憶にすりこまれてうなされる時期が長いです。
まだ時折悪夢で寝れません。そういう時はスイッチを切るためにコンスタンを飲ませてもらいます。
もう、とっくに、正常じゃないのは解っています。それでもただ生きていて欲しい。
そう子ども達は思っていて、まだ頼りたい年頃だろうから。
でも、自死した従兄の事も責めていません。
仕方なかった背景があるから。
誰も悪くない。誰かを悪くしないとやりきれない感情も理解できます。
そんなこんなです。
2014.3.11