☆ ミエナイ チカラ ☆ | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

♪よこしま☆ちゃんの日常♪

~ ゆるゆる生きる ~

いつからそれを信じられなくなったんだろう・・・


いつからその変化に気付かなくなったんだろう・・・


けれど、また、ミエナイチカラ の存在に、ようよう気付く事が出来始めている気がします・・・



そもそもの私は、とても直感的で、情動的、本能的なのです。


一方で、同じくらい強く、冷静でありました。


物ごころついた時には、どちらかというと、女性や子どもにとって好ましい環境ではありませんでした。


それに甘んじて麻痺している男性や大人たちを、冷めた心で見ていました、いいえ、


見るようになりました。



顔や立場やプライドがあるので、事細かに説明をしません。 特に外ではしません。


それでも勘づきさえしなかった・・・みんな大人なのに。



「私は、こんな中で育つのか・・・やれ、困ったものだ」


おとぎ話や、むかし話で出てくる台詞のような事を思う子どもでした。



不思議な事は色々起こりました。 当り前ですよね、子どもなんですから。


父方の田舎では特に私の事を一方的に知られてました。


父は末っ子の男子で、伯母ばかりで、そこの子どもは男の子ばかりでしたから、


伯母は、それぞれ息子に彼女や嫁が出来るまでは、大層私を可愛がって、取り合うように、


家の用事に連れて行っては、お菓子やお洋服を買ってくれました。


行く先々の御店で「あれ?女の子おったか?」『いや、○○(父の名)の子や。今帰ってんねん。』「は~、そうかぁ・・・”あの”○○ちゃんの子かぁ・・・」が恒例でした。


(なんで知らない人が私を知っているんやろう?)


(なんでお父さんの名前を知っているんやろう?)


(なんで”あの”ってばっかり言うんやろう?)


その繰り返しが何とも私には奇妙でした。


しばらくすると田舎に帰る時はそう言われるものだと理解し、ニッコリしていればいいのだと思いました。


そのうちに、高校や大学はどうなったのかと無言の期待を寄せられていた事を察知するようになります。


父の大学の卒業証書がなんでも一番に飾られていました。どの従兄も今で言う偏差値がはるか及ばない大学だったので、それらは脇に飾られていました。


両親の期待通りの大学に合格しなかったとき、親戚一同の夢は潰え、


従兄は順に年頃になってましたから、結婚をし、


もう「”あの”○○ちゃんの子かぁ・・・」を聴く事もなくなりました。


あの時から私は私を喪いました。



だけれども私の知っている伯母たちも勤勉家で、直接学歴には反映されなかったけれど、


習い事でもなんでも自学自習をしていました。


もちろん父も家の事をいっぱい手伝いながら皆が寝静まって、四当五落と信じられていた時代ですから、


それを履行したのだそうです。


「私は、こんな中で育つのか・・・やれ、困ったものだ」と思った私自身を、


私は裏切った気もしました。


自分で自分を抹殺してしまった気もしました。


そこに輪をかけて母は人生を返せ、ときたもんですから、心がすっかり壊れきってしまいました。


それまでも壊れておりましたが、砕け散ったのはその時でした。


それからは自暴自棄になっていたように思います。


人さまがどう言おうと自分にとっては不本意な大学に通う事になりました。


もう一年浪人させて欲しいと懇願したけれども、それは許されませんでした。


大学でももちろん居場所はありませんでした。


いつしか孤立していました。大学生にもなって手段で奇異な目を向けられました。


また「私は、こんな中で育つのか・・・やれ、困ったものだ」の環境になりました。


それでも学費を出して貰っていましたからキッチリ四年で卒業し、


今度は就職先が立派であることを求められたので、某有名メーカーのシステムエンジニアとう総合職で就職しました。


当時は雇用機会均等法が施行されてはいましたが、名ばかりで、年頃になると、


デートの話がどうとか、など、今で言うならセクハラな言葉は当り前に横行し、


適齢期で結婚しないと人間として脱落したような風潮が周囲に在りました。


結婚となると、また「私は、こんな中で育つのか・・・やれ、困ったものだ」になるのは、


なんとなく直感的には解っていたけれど、


それを振り切って行けるほどの学歴はありませんでした。


(東京大学や早稲田大学からNY州立大、あるいは教員に正規採用された友達は今でも独身で頑張っています。)


これらの不思議、一体なんだろう・・・今でも私自身の回答は出ていません。


けれど、とっても窮屈で、自分らしさが全く無くて、徒労するだけのようには思っています。



ここのところ、悪夢を怒涛のように見るんです。でもそれは昇華しているのだと捉えるようになりました。


昨夜なんかは自分の一生が一年換算の夢でした。良い事より辛い事の方が殆どで、


感想は「こういうことなのか・・・」でした。早かったとか、そんな事すらも感じず、


ただ「ふ~ん・・・そういうことだったのか・・・」だけでした。



27歳で逝きかけた時は流石に「早かったなあ・・・親孝行より親不孝だったなあ・・・だから早くに逝くのかもなぁ・・・」で墜ちたので、確かに早かったとは思いましたが、


最近はそれから20年くらい経っているし、決して短くはないだろうし、長くも無いし、


「ふぅ~ん・・・」でした。


けれどもとっても苦しい夢ばかりで、噴出しまくりです。


辛い経験のデトックスみたいです(^▽^;)


金縛りよりはちょっと深い眠りのカンジ。


で、やっぱり体中痺れて何時間か動けなくて、ようやく起きられていられるのは数時間なので、


その間に家事と育児をします。


今はそれだけ。



だけど、遥かかなた、おぼろげながら、まるで東山の霞のように、


ミエナイチカラ また私のところにちょこっと顔を出してくれそうな、


小さな小さな、電子顕微鏡でも視えないなにかを感じます。



そう、感じる。


おとぎ話でも、むかし話でもなく、感覚の御話なのかもしれません・・・



また不思議天然ちゃん炸裂ですか???


ふふふ♪ オカシナ☆リケジョでしょ♪



そんな よこしま☆ちゃんです・・・ハート♪