草木をこよなく愛する母。
実家の庭の写真を送ってくれました。
大阪のベッドタウンにあたる奈良県は生駒市。
生家は身重で旦那さんを亡くしたお姉さん(私にとっては伯母)てその息子に譲ったので晩年建てました。
拘ったのは沿線、会社までの距離、特急停車駅、徒歩15分圏内。
そして第一種専用地域なので自動販売機がありません。建蔽率は40%制限。
近所では家が一番チビッコなお家で、お向かいは医者、お隣は頭取、反対のお隣は関西で展開する塾の経営者が住んでいます。
この家は苦労をかけた母に父が命の覚悟をした時に建てた家です。
私には若いから巣立ちをリクエストされました。こうなっても厳守しています。
弟は独り身でふらふらしていたんだけれど今は帰ってます。母を独りにしておくのは表現してませんが実は心配なので有難いです。
あのピーピー泣いていた弟がねぇ…って感じ。
私は153センチしかないんだけど弟は母方に似て180センチ近くあります。
きょうだいに思われません(笑)
父の葬儀の時は葬儀社の方に私と子ども達を家族と間違われ、弟は喪主をしましたから『奥様と…』ってあたりで弟は全否定していました(笑)
それくらい似てないのかも。
当時弟は仕事がうまく行かず、バブルの高い金利の時に購入したのに、
父は踏ん張って10年で完済しました。
フツーのサラリーマンが、です。
もちろん助けを借りていません。決して身体は大きくないし頑丈でもないけれど、バイタリティーは凄い人でした。
その分、私は殴られ蹴られ飛ばされてましたけど(笑)
変に根性が据わる時があるのはそのせいでしょうか。
そして情の厚い人でした。労働組合を立ち上げたり、田舎から出てきて大変な部下や後輩に駆けつける人でした。
病気や障害にも理解がある一方で自らは甘えることなく立ち向かった人です。
殆ど仕事で会えなかったし、プライベートもそのように人様にかけつけますから、
親子としては寂しかったけど人さまに対する姿勢としては尊敬していたし、
何より仕事で本当にアイデアマンでした。
少しは受け継ぎたかったです。
学歴も稼ぎも私の方が良かったから弟じゃなくて、私をリレーローンにして欲しかったけど、
結局自分でケリをつけて、人様のケリもつけて、
密な人生は人様より少し早く終わりを迎えました。
人の才能を見抜く人でした。
どれだけ不仲になってもそこだけはしっかり見ている人でした。
父が遺した私への評価は『頑張り屋さん』なのだそうです。
私はヘタレだし身体も弱い。涙も脆い。
でも、ここぞ、という時は、こころをフリーズさせたり、身体に鞭うったり、あるいは泣きながらでも、吐血しながらも、
どうにかやり遂げてしまいます。
『怖いようっ


同じくシャイでなかなか本音を言わない子ども達。けれど、なんとなく手伝って欲しい方向性は解っているので、
頓服飲みながらでも『ここぞ』はやり遂げます。どれだけかかっても。
他は倒れてます。
宮崎アニメの『もののけ姫』のモロみたいです。
子ども達には、まだアシタカは現れてないので、
傷を癒しながら駆け付ける日々がまだ暫くは続くのだと思います。
なんだかんだで不器用だけど、母は父に愛されてたんだよ。
私はそこには実子でも土足で入れないよ。
未だに父の母を想う気持ちを尊重してる。
だから帰るところは無いと思っているし、人様にはお手間をお掛けしてしまうので、
学問以外には甘えない(笑)
頑固で偏屈な変なヤツです(笑)
身体はポンコツだからいつまでもつかな~、って感じ(笑)
仕方ないよね(笑)体質だから(笑)
それではまた。