あみた♡days さんの ラブリンちゃんが、旅立ちました。
楽しくって仕方のない遊び場に。
ちょこっとだけ、がっちゃんが先にいってるけど、1kgちょっとのチワワでヘタレのオトコノコだから、
優しく絡んであげください。
そう、遊びに行って、帰って来るのを忘れているだけ。
私より、がっちゃんのことを解って、もっとお世話が上手な御仲間さんがいて、
その方ががっちゃんが幸せなんだ、きっと・・・だから、帰ってこれなんだ。
私は、お別れが本当にダメなんです。薬学部の受験を当日ドタキャンしたのも、出願してから、
動物実験があると知って、無理だ、って止めた。親は資格を取らせたかったみたいで激昂したけど。
その他、親が行って欲しい大学じゃないところの通知はゴミ箱に捨てられた・・・
その父は、長く闘病していて、最後の数年はもう家族が疲弊しきってて。
それでも覚悟はしていたから、お別れの時間は用意されていたんだ。
(臨終は私が耐えられないだろうからと、親戚が皆で、子ども達とお迎えの準備をするように実家に帰したけど・・・)
私は生まれてすぐに突然のお別れをする事が多い環境にありました。運命かもしれないとさえ思った事があります。
最初は、伯父。私には10歳上の従兄がいるのですが、彼がもうすぐ生まれてくる、という時、
伯父が会社の事故で突然旅立ちました。伯母は24歳で未亡人になり、父は17歳で父親代わりとなりました。
もう祖父は病に臥せりかけていて、父が19歳の時に亡くなります。父は4歳の時に母親(私にとっては祖母)を亡くしていますから、
唯一の男子として、それからずっと踏ん張って生きて来ました。
従兄は、伯母の突然の産気で早産で仮死状態で生まれて来ました。身重で葬儀を出し、
この子までも連れて行かないでくれ!と生まれた幼子を抱えながら、49日を出したそうです。
あまりに父がこの従兄を可愛がるし、実家も伯母が借家なんて当時女性には化して貰えないであろうから、とあげてしまうし、
私は実子でないと思っていたくらいです。そんな事情で苦労した母に最期は家をプレゼントした父、
当時若かった私と弟には自立するように言いました。弟は実家に帰っていますが、私は未だにそれを厳守して、もう帰るところは無いと心に決めています。
実家や親せき、それまでの友達と離れてそうっと暮らしています。
脱線しました。
次は高校の時。宮川君。とっても御調子者で、ハンドボール部に属していたから、信じてはいたけど、半分不思議なカンジがしていた心臓病でした。
宮川君は、お勉強をある大学にターゲットを絞って、他の偏差値がそれほどでもない学校は堕ちたのに、同志社大学だけは受かりました。みんな「やるなー!」って歓びました。
入学をもうすぐに控えたある日。皆が招集されました。卒業パーティをしたところなのに、昨夜突然発作が起きて、宮川君は旅立ったと。
大学の同級生のみほちゃんも、卒業後、旅立ちました。彼女は摂食障害からの心臓発作だと思われます。
入学時、健康的な笑顔の可愛い子で、真面目な子で、出身の高校はじまっての優秀な成績で推薦で入学を決めた大変努力家の子です。
焦がれていた男子にちょっと容姿をからかわれて、真面目に受け取ってしまい、みるみる痩せていってしまいました。
何度もクラスの女子で心配だし、もう充分だよ、お願いだから追い詰めないで、と言って、改善したものだと思っていました。
卒業後、大阪のOBPというオフィス街の別のビルに偶然勤務することになって、よく通勤が一緒になったものです。
ある日、また、電話がはいりました。昨夜突然、布団の中で、と。
その後も、大先生が、午前の博士公聴会のあと、午後から引き続くそれに控え、別の仕事を昼食時にすませてしまおうと、秘書さんを引率して移動している最中でした。
頭が痛い・・・といったまま、その場に崩れられました。
搬送して30分後、スタッフから、ハッキリかかなくてもいいのに、脳死状態との診断が下りましたという報せが研究科に入りました。
私は父を亡くして、すぐだったので、錯乱しましたし、周りも本当に震撼しました。世界が震撼しました。
丁度今ごろです。学校関係の方は解ると思いますが、国立大学で主な役席についておられる巨大な先生が今ごろ急逝なさったらどうなるか。
・・・書けません。
他にも、5年ほどまえに、私の誕生日に、先に書いた従兄と私の間の従兄が自死しました。
私の子ども達と同い年のきょうだいを遺して。
似た病気を持っていたし、アルコール依存症でした。田舎だったので、理解が遅かったのだと悔やまれてなりませんが、
誕生日に珍しくあまり普段関係がよくない母から連絡があったので、
もう歳がいったのだなあ・・・さみしいのだなあ・・・私の誕生日は母が頑張った日だし・・・
と思っていたら、突然の訃報でした。
この従兄の葬祭に関する全て、私は出席出来ていません。実父の3回忌以降も、身体が崩れて行けません・・・
だから、未だに従兄のことも信じていません。
信じていないんです。
実父が亡くなる前に、初めて飼った、憧れのポメラニアンのアラレちゃんが旅立ちました。
鳥山明さんの世界観が好きで、そう名前をつけました。冒頭に書いた、がっちゃんも、アラレちゃんの次に飼ったチワワだったからです。
アラレちゃんが亡くなって、後を追うように、父は旅立ちました。
あーちゃんを気に入って連れて帰って来たのは、父でした。
あーちゃんの時に、もう父はそれが解っていたのかどうか・・・ですが。
あの時に、もう二度とわんちゃんは飼わないと決めました。
けれど、子ども達が、不登校になって、迎え入れました。
色々あって、お姉ちゃんも命を落としそうになって、ようやく元気になってきたころ、
がっちゃんは静かに旅立ちました。
いろいろ乱文でごめんなさい・・・。
突然のことは・・・受け容れられない・・・そうでなくても受け容れられないのに。
だから、みんな、楽しく遊んで、楽し過ぎて、帰って来るのを忘れているんだ、
そう思っています・・・・