今日も訃報を耳にしました。
http://news.mynavi.jp/news/2014/01/03/110/
関西の御笑い好きの人間としては、女流漫才では名門の海原門下の漫才師を知らない人はいないでしょう。
海原お浜・小浜師匠、海原千里・万里(←千里さんは上沼恵美子さん)、海原やすよ・ともこ。他にも女流漫才だけでなく、海原はるか・かなた師匠。昔の、海原かける・めぐる。(←めぐるさんは池乃めだかさんです。)などなどそうそうたる人達。
なかでも海原さおり・しおりさんは、千里・万里さんがいなくなって、彗星の如く現れたアイドル的な存在でした。
東京のオーディション番組にも出演し、当時コロッケさんとか、とんねるずさん、などなど登竜門としての番組で勝ち残り、人気は全国区になりました。
よい年の取り方をしている御姉さんのイメージでした。特に小柄なしおりさんは、親近感があって、彼女達の漫才を見るのが子ども心にとても好きでした。
晩年はプライベイトでもかなりのご苦労があったように伝え聞いていましたが、私がしっている海原さおりさんは芸人の彼女であるので、それはそれ、これはこれ、と捉えていました。
また大好きな人が、先に逝かれてしまいました。せめて、今生での苦しみから解放されたのなら、それだけが救いだと思いますが、でもやっぱり・・・自分の青春の一部がもがれてしまったみたいで、
自分の命がもがれてしまったみたいで、ただ茫然としています。
ずっと虐められていた子で、大阪でもそうだったし、東京でもそうだった。また大阪に戻って来た時、気付いて見つけたのが、「笑いをとれたら虐められない!」でした。
そう、お笑いが私の心を救ってくれました。音楽もそうですが、言葉のやりとりを面白オカシク演出するお笑いが私を救ってくれた部分も相当大きかったです。
そういう意味では、大阪で生きるには、どうしたらいいのか、と考え抜いて、辿りついた拠り所でした。
ザ・ドリフターズで育った世代です(笑)
関西の子どもは、当時土曜日は半日で、急いで帰って来て、炭水化物のオカズに炭水化物の御飯が作り置きしてあって、お母さんはパート。
12時なったら、もう、朝日放送で「あっちこっち丁稚」でした。13時から、一本目の吉本新喜劇。14時からは「モーレツしごき教室」。ハイヒールもモモコさんが新人でした。15時から松竹新喜劇。16時から二本目の吉本新喜劇。17時から、「素人名人会」その後、「ヤングOH!OH!」があって、新人の明石家さんまさんが出ていて、それで・・・なんだっけ。
そうそう「日本むかし話」があって、8時から「全員集合!」9時から「キーハンター」が終わりかけで、すぐ「Gメン’75」が始まったんだっけ・・・思いきっり大阪に引っ越して来た時だ~・・・覚えているもんだね。
当時、池乃めだかさんになったとかならなかったとかじゃないかなぁ・・・井上竜夫さんはあの時代から、竜じぃだったなぁ・・・
未知やすえさんが漫才していたころに、きったない、オジサンの溜まり場の改装前の通路にゴミが散乱している頃の、梅田花月かどこかに連れていってもらって、煙草臭くて、もたなかったんだっけ・・・で、座れなかったんだよ・・・暗いくらい演芸場・・・
その海原しおりさんが・・・・
最近は、どうも受け留められません。いつか私も今生から肉体がなくなって、あの世があるとしたら、また楽しい漫才を聴かせていただきたいなぁ、っていう事に、必死に思考をシフトしないともちそうにありません。
安定剤から冷めて、また、訃報。仕方ないんだけれど、仕方ないんだけれど・・・。未だ何も考えられない・・・神様は時に意地悪だなぁ・・・
しおりさん、幸せでしたか?どんな人生でしたか?貴女が最期の最期、幸せに旅立ったと、そう思いたいです。
乱文ですね・・・私は全然冷静で、論理的じゃない。だから論理的思考を身につけないと、とうの昔に自ら旅立って居たでしょう。幼いころから色々ありすぎて生きるのが苦しかった人間ですから。それしか考えていませんでしたから。
やっぱり乱文。それくらいショックです・・・大瀧泳一さんの訃報があったばかりで・・・
憧れの人が旅立つのは心が千切れる・・・
ここに謹んでお悔やみを申し上げます。しおりさん、好きだった♪可愛い人だった♪
合掌。
http://news.mynavi.jp/news/2014/01/03/110/
関西の御笑い好きの人間としては、女流漫才では名門の海原門下の漫才師を知らない人はいないでしょう。
海原お浜・小浜師匠、海原千里・万里(←千里さんは上沼恵美子さん)、海原やすよ・ともこ。他にも女流漫才だけでなく、海原はるか・かなた師匠。昔の、海原かける・めぐる。(←めぐるさんは池乃めだかさんです。)などなどそうそうたる人達。
なかでも海原さおり・しおりさんは、千里・万里さんがいなくなって、彗星の如く現れたアイドル的な存在でした。
東京のオーディション番組にも出演し、当時コロッケさんとか、とんねるずさん、などなど登竜門としての番組で勝ち残り、人気は全国区になりました。
よい年の取り方をしている御姉さんのイメージでした。特に小柄なしおりさんは、親近感があって、彼女達の漫才を見るのが子ども心にとても好きでした。
晩年はプライベイトでもかなりのご苦労があったように伝え聞いていましたが、私がしっている海原さおりさんは芸人の彼女であるので、それはそれ、これはこれ、と捉えていました。
また大好きな人が、先に逝かれてしまいました。せめて、今生での苦しみから解放されたのなら、それだけが救いだと思いますが、でもやっぱり・・・自分の青春の一部がもがれてしまったみたいで、
自分の命がもがれてしまったみたいで、ただ茫然としています。
ずっと虐められていた子で、大阪でもそうだったし、東京でもそうだった。また大阪に戻って来た時、気付いて見つけたのが、「笑いをとれたら虐められない!」でした。
そう、お笑いが私の心を救ってくれました。音楽もそうですが、言葉のやりとりを面白オカシク演出するお笑いが私を救ってくれた部分も相当大きかったです。
そういう意味では、大阪で生きるには、どうしたらいいのか、と考え抜いて、辿りついた拠り所でした。
ザ・ドリフターズで育った世代です(笑)
関西の子どもは、当時土曜日は半日で、急いで帰って来て、炭水化物のオカズに炭水化物の御飯が作り置きしてあって、お母さんはパート。
12時なったら、もう、朝日放送で「あっちこっち丁稚」でした。13時から、一本目の吉本新喜劇。14時からは「モーレツしごき教室」。ハイヒールもモモコさんが新人でした。15時から松竹新喜劇。16時から二本目の吉本新喜劇。17時から、「素人名人会」その後、「ヤングOH!OH!」があって、新人の明石家さんまさんが出ていて、それで・・・なんだっけ。
そうそう「日本むかし話」があって、8時から「全員集合!」9時から「キーハンター」が終わりかけで、すぐ「Gメン’75」が始まったんだっけ・・・思いきっり大阪に引っ越して来た時だ~・・・覚えているもんだね。
当時、池乃めだかさんになったとかならなかったとかじゃないかなぁ・・・井上竜夫さんはあの時代から、竜じぃだったなぁ・・・
未知やすえさんが漫才していたころに、きったない、オジサンの溜まり場の改装前の通路にゴミが散乱している頃の、梅田花月かどこかに連れていってもらって、煙草臭くて、もたなかったんだっけ・・・で、座れなかったんだよ・・・暗いくらい演芸場・・・
その海原しおりさんが・・・・
最近は、どうも受け留められません。いつか私も今生から肉体がなくなって、あの世があるとしたら、また楽しい漫才を聴かせていただきたいなぁ、っていう事に、必死に思考をシフトしないともちそうにありません。
安定剤から冷めて、また、訃報。仕方ないんだけれど、仕方ないんだけれど・・・。未だ何も考えられない・・・神様は時に意地悪だなぁ・・・
しおりさん、幸せでしたか?どんな人生でしたか?貴女が最期の最期、幸せに旅立ったと、そう思いたいです。
乱文ですね・・・私は全然冷静で、論理的じゃない。だから論理的思考を身につけないと、とうの昔に自ら旅立って居たでしょう。幼いころから色々ありすぎて生きるのが苦しかった人間ですから。それしか考えていませんでしたから。
やっぱり乱文。それくらいショックです・・・大瀧泳一さんの訃報があったばかりで・・・
憧れの人が旅立つのは心が千切れる・・・
ここに謹んでお悔やみを申し上げます。しおりさん、好きだった♪可愛い人だった♪
合掌。