高熱が下がらない息子を看病しているうちに、そろそろうつったよこしま☆です。
元々身体が丈夫ではないので酷暑や厳寒に身体がついて行かず、
夏バテや酷い風邪になります。
小さい時から学校をお休みする事が多かったです。
だから折り紙やお絵描きやお習字や絵本などが好きでした。
弟が生まれてからは彼は母が僅に離れただけで火がついたように怯えて泣く子だったし、
お父さんはいないし、ひとりであそんでました。
昔だからお外に行ってはイケマセンって言われました。
特にどこそこの子と遊んではイケマセンって言われてました。
訳が解らなかったけれどお母さんの言う事なので聞いていました。
大屋さんが親切に貸してくださった平屋のお庭で探検してました。
弟とは二歳と九ヶ月離れていて学年は私が早生まれなので三つ違います。
だから三歳になるまえくらいにひとりで小さい生き物と遊んでいました。
お花の不思議な構造、ペンペン草や、白粉花などの、種を見つけたり、お花さんにはごめんなさいだけど、お花を分解して仕組みを見つけてました。
小さい虫さんがお花のところに遊びにいってばかりなので、
淋しくて魅力を知りたかったんだと思います(笑)
そんなひとり遊びというか、そうするしか出来ませんでした。
だから別段学歴も要らなかったし、親も無理して学費を出してくれる必要無かったし、
ただ一緒に不思議がってくれたら一緒に過ごせたら幸せだったのだろうけれど、
そんな気持ちがあるとかないとかよりも、親や人に喜んで貰いたかったので、
どれだけ自分に合っていなくても無理してもそうする事に何の疑いも持っていませんでした。
いつからか自分を大切にしなさい、と言われる様になりましたが、
本当は私の自愛が具体的にどうする事なのか今でも解らないのです。
例えば『まだ子どもが自立していないからお母さんが頼り。だからこそ自分の体を大切にして生きないと子どもが困るよ。淋しい想いさせちゃうよ。』なら解る。
だったらお医者さんと相談する。医学も薬学も看護学も…いっぱい勉強して全体マネージメントも出来るようになって、
自分はその部品になる事に徹する。
もしかしたら手のかかる子どもたちだから私は生きようとするのだと思う。
娘を出産した時、実は危なくて集中治療室に入ってて、
一番のおばあちゃん看護婦さん(当時は看護師さんと呼んでいませんでした)が、
たくさんの管に繋がれた私から初乳を何度も搾乳に来てくれました。
そうして私と娘に行動で『生きるのよ!貴女がその腕で娘さんを抱くのよ!』って。
『立派よ。命がけで命を繋いだのよ。』って。
あと数g少なかったら母子が別々の他府県に搬送される事になっていました。
何人もの看護婦さんのみならずお医者さんが次々と診察に来て下さいました。
よほど悪い状態なんだな…って解りました。
解らなかったのは身内です。
ガヤガヤ集団で来てそんな状態で聴かさなくていい話かどうかの分別がつかずに興奮状態で、
私のセンサーの数値が異常を来しました。
先生が飛び込んで来て親戚の伯母たちを叱責しました。
そうして看護婦さんは『面会謝絶』の札をかけさせてね。今は安静にして欲しいから。
『体だけじゃないのよ。心を安静にって事ね。』
話せなかったので泣きながら頷きました。
私は生きるために、ひっそりとする必要があります。
それを人様から淋しいでしょう?孤独ね、など、
何も事情を知らないのに見かけでレッテルを貼られる筋合いはありません。
私は生き物に対する専門的知識の無い人からステレオタイプを押し付けられて来ました。
私の体を知っているのは私の既往歴だけです。
何十年と憧れていた人にレッテルを何度か立て続けに貼られた時には、
心を鈍いナイフでミンチにされたように残虐に感じました。
憧れ、は、童の心と書きます。
そんな人に子どもさんを大切にして下さいと、また要求をされました。
どの口が言うのですか?というやり場の無いこれ以上のない、どこまで人を見下す人なんだと憤りを感じました。
ずっと憤りは消えません。
でも…おばあちゃん看護師さんが言ってくれた『心の安静』を思うなら、
忘れて離れる事で傷を癒す専門時空間を作り出せる、あの時のICUを自分の心の中に創り出せると考えました。
人間感情としては許す事は無いでしょう。
けれど論理的思考という私の理性という名の、
…ハッキリ書いちゃいますね、これだけ大学病院のプロ集団に教えていただいて来たんだから。
高度専門知識の総合マネージメント力で乗り越えたいと思います。
偏見をも。
分ける所は緻密に分ける。相性を見る。組み合わせのパターンをくまなく考える。試す。再考する。繰り返す。
私は生きるために生まれて来ました。
私が私として生きる為の知識獲得は容赦無く行いますし、学びたいという人間に門戸を閉ざす高等教育機関はありませんし、よく観察していたら見抜けます。
たかだか4300文字の文章を意図を読み取りながら速読出来ない人とは、
究極の話を議論しては来ていません。
ここはブログなので、私の中では限りなくプライベイトにラフに書いています。
専門用語羅列して人と絡めませんよ(笑)
ま、カルテを覗きこんで解らない所は全部質問する患者ですけどね(笑)医者の力量も解るから(笑)
誰だって大切な命、看板がどうじゃなく、スキルが低い、看板に胡座をかいている担当に預けるバカいませんよ~(笑)
わたしそこまではお人好しじゃないです(笑)特に命を繋いで来た大切な我が子への吟味はかなりシビアですよ(笑)
今の学校長を叱り飛ばしましたから(笑)
あ、ボスにもした事ありますよ(笑)
それでも尚かかわりをもってくださるから御縁があるんでしょうし、器の大きな人達だと思っています。解ります、それで(笑)
たかだか五千文字か…論文書くには程遠いな(笑)
まだまだ復活には準備が必要なようです(笑)
頭は働くんだけど身体が動かない(笑)困った身体ちゃんだ(笑)
ではでは♪
元々身体が丈夫ではないので酷暑や厳寒に身体がついて行かず、
夏バテや酷い風邪になります。
小さい時から学校をお休みする事が多かったです。
だから折り紙やお絵描きやお習字や絵本などが好きでした。
弟が生まれてからは彼は母が僅に離れただけで火がついたように怯えて泣く子だったし、
お父さんはいないし、ひとりであそんでました。
昔だからお外に行ってはイケマセンって言われました。
特にどこそこの子と遊んではイケマセンって言われてました。
訳が解らなかったけれどお母さんの言う事なので聞いていました。
大屋さんが親切に貸してくださった平屋のお庭で探検してました。
弟とは二歳と九ヶ月離れていて学年は私が早生まれなので三つ違います。
だから三歳になるまえくらいにひとりで小さい生き物と遊んでいました。
お花の不思議な構造、ペンペン草や、白粉花などの、種を見つけたり、お花さんにはごめんなさいだけど、お花を分解して仕組みを見つけてました。
小さい虫さんがお花のところに遊びにいってばかりなので、
淋しくて魅力を知りたかったんだと思います(笑)
そんなひとり遊びというか、そうするしか出来ませんでした。
だから別段学歴も要らなかったし、親も無理して学費を出してくれる必要無かったし、
ただ一緒に不思議がってくれたら一緒に過ごせたら幸せだったのだろうけれど、
そんな気持ちがあるとかないとかよりも、親や人に喜んで貰いたかったので、
どれだけ自分に合っていなくても無理してもそうする事に何の疑いも持っていませんでした。
いつからか自分を大切にしなさい、と言われる様になりましたが、
本当は私の自愛が具体的にどうする事なのか今でも解らないのです。
例えば『まだ子どもが自立していないからお母さんが頼り。だからこそ自分の体を大切にして生きないと子どもが困るよ。淋しい想いさせちゃうよ。』なら解る。
だったらお医者さんと相談する。医学も薬学も看護学も…いっぱい勉強して全体マネージメントも出来るようになって、
自分はその部品になる事に徹する。
もしかしたら手のかかる子どもたちだから私は生きようとするのだと思う。
娘を出産した時、実は危なくて集中治療室に入ってて、
一番のおばあちゃん看護婦さん(当時は看護師さんと呼んでいませんでした)が、
たくさんの管に繋がれた私から初乳を何度も搾乳に来てくれました。
そうして私と娘に行動で『生きるのよ!貴女がその腕で娘さんを抱くのよ!』って。
『立派よ。命がけで命を繋いだのよ。』って。
あと数g少なかったら母子が別々の他府県に搬送される事になっていました。
何人もの看護婦さんのみならずお医者さんが次々と診察に来て下さいました。
よほど悪い状態なんだな…って解りました。
解らなかったのは身内です。
ガヤガヤ集団で来てそんな状態で聴かさなくていい話かどうかの分別がつかずに興奮状態で、
私のセンサーの数値が異常を来しました。
先生が飛び込んで来て親戚の伯母たちを叱責しました。
そうして看護婦さんは『面会謝絶』の札をかけさせてね。今は安静にして欲しいから。
『体だけじゃないのよ。心を安静にって事ね。』
話せなかったので泣きながら頷きました。
私は生きるために、ひっそりとする必要があります。
それを人様から淋しいでしょう?孤独ね、など、
何も事情を知らないのに見かけでレッテルを貼られる筋合いはありません。
私は生き物に対する専門的知識の無い人からステレオタイプを押し付けられて来ました。
私の体を知っているのは私の既往歴だけです。
何十年と憧れていた人にレッテルを何度か立て続けに貼られた時には、
心を鈍いナイフでミンチにされたように残虐に感じました。
憧れ、は、童の心と書きます。
そんな人に子どもさんを大切にして下さいと、また要求をされました。
どの口が言うのですか?というやり場の無いこれ以上のない、どこまで人を見下す人なんだと憤りを感じました。
ずっと憤りは消えません。
でも…おばあちゃん看護師さんが言ってくれた『心の安静』を思うなら、
忘れて離れる事で傷を癒す専門時空間を作り出せる、あの時のICUを自分の心の中に創り出せると考えました。
人間感情としては許す事は無いでしょう。
けれど論理的思考という私の理性という名の、
…ハッキリ書いちゃいますね、これだけ大学病院のプロ集団に教えていただいて来たんだから。
高度専門知識の総合マネージメント力で乗り越えたいと思います。
偏見をも。
分ける所は緻密に分ける。相性を見る。組み合わせのパターンをくまなく考える。試す。再考する。繰り返す。
私は生きるために生まれて来ました。
私が私として生きる為の知識獲得は容赦無く行いますし、学びたいという人間に門戸を閉ざす高等教育機関はありませんし、よく観察していたら見抜けます。
たかだか4300文字の文章を意図を読み取りながら速読出来ない人とは、
究極の話を議論しては来ていません。
ここはブログなので、私の中では限りなくプライベイトにラフに書いています。
専門用語羅列して人と絡めませんよ(笑)
ま、カルテを覗きこんで解らない所は全部質問する患者ですけどね(笑)医者の力量も解るから(笑)
誰だって大切な命、看板がどうじゃなく、スキルが低い、看板に胡座をかいている担当に預けるバカいませんよ~(笑)
わたしそこまではお人好しじゃないです(笑)特に命を繋いで来た大切な我が子への吟味はかなりシビアですよ(笑)
今の学校長を叱り飛ばしましたから(笑)
あ、ボスにもした事ありますよ(笑)
それでも尚かかわりをもってくださるから御縁があるんでしょうし、器の大きな人達だと思っています。解ります、それで(笑)
たかだか五千文字か…論文書くには程遠いな(笑)
まだまだ復活には準備が必要なようです(笑)
頭は働くんだけど身体が動かない(笑)困った身体ちゃんだ(笑)
ではでは♪