ボスがメールをくれました。あるSNSに招待してくれたのです。



いや~・・・メインの論文が3本しかない、というのは、業績があがっていないので恥ずかしくて、戻れないんですが、師匠(ボス)はそうは思っておられないようなんです。

コンピュータサイエンスにおける世界的権威のある学会は、ACMという学会と、例えば通信規格で有名なIEEEという学会が難易度がトップです。出版社もSpringerというところが有名で、これらの国際会議で採択される事は数ある国際会議がある中、本当に誉れな事なんだそうです。

家の事情で(息子へのイジメ、対応、娘の子育て、実家の事、親戚の事・・・etc)研究を中断せざるを得なかった忸怩たる想いや、一方でDV離婚を経ているので、心が委縮したままなかなか上向きにならない事などが背景にあります。

たった3本ですが、学術界では世界に名前が残ったという事実があります。この事実が自分を苦しめる種にもなるのですけれど・・・(苦笑)

訪れる国によっては、女性がウェルカムな事もありますし、そうでない事もあります。もう10年たったので、今はそうでないと信じたいです。

ボスが今、SNSに誘って下さったのも、自分の専門性を世に知って貰わないと、見つけて貰えないよ、という事だと思います。

博士課程に進学したくて、数多の先生にアポを取った中、唯一逢って下さった御人です、ボスは。そうして修士論文を見て、瞬時に言って下さいました。

『貴女は一日も早く、世に出なければならない人です。』と。

(へ? いやいや、今、お逢いしたばかりです。 あの、それで、まだ受験していいかも、お返事いただいておりませんで・・・え。え。ええええ!?)

・・・と理解出来ていなかったというか、にわかに信じられなかったんですね。

いざ入学するまでに受験があるのですが、合格したすぐ後に、もう論文を書いていました。入学する前から論文を書いて、破竹の勢いとなりました。

けれど、実家がそれをまた理解できなく「一体、あの子は何をしてるんや。御母さんやのに。」と。

シングルになって、一日も早く親を安心させたくて身を立てたくて、それは子どもを育てるという意味でも必須である・・・解っては貰えませんでした。今もです。

家族・親族・友人・知人、誰一人にも理解してもらえないのは、心が孤立します。

女性研究者、って、そうやって来た人、多いと思います。

私は、見事に、心がポッキーのように折れました。←ここでふざけるか?(苦笑)

親以上に親で、親が見棄てた私を見捨てない人、それが師匠です。

病気が治らなくて、タイムアップで、大学の籍としては、認定退学となってしまいました。けれど、京大の卒業生として認めて下さり、今でも自由に大学に入れるようにして下さっています。

一般的には、大学でも、同じ大学、とか、同じ国の大学とか、年代とか、専攻とか、で、頑強に仲間になってしまい(それだけ忙しいので時間を共有してしまうのですけれど)、

ちょっと心が折れた人間は孤立した感覚に襲われるし、それは強迫的になってしまうし、疎外された気持ちも持ってしまう。

それも理解して下さっているから、うちのボスには、あっちこっちで苦労した人間が集うのだと思うのです。

そのボスが、初対面で、私に言いました。

『貴女は一日も早く、世に出なければならない人です。』

SNSですから、ちゃんと本名で顔だしで、登録しました。

DVの後遺症との闘いが始まります。覚悟を決めていたわけではありません。

流れに乗った、というか。本当は、最短年限卒業の年に、ある国公立大学への推薦があったんです。

他府県に行くのは、研究者の宿命です。でも、子ども達がまだ義務教育中だったので、転校に依るストレスが計り知れないので、謹んでご辞退申し上げました。

仕事だけを、自分の出世だけを優先していたら、受けていたでしょう。

でも、私は、子どものメンタルケアを最優先しました。

それも私の誉れです。