長年やってる、継続は力なり、など言われます。


けれど人間の行為の殆どが恒常的じゃないですよね。


ある一定期間で終了するそれらが、


振り返ってみたら何年やってた、


…みたいな。



この非連続のインターバル、つまり、


何かアクションを起こして、次のアクションが起こるまでの間隔によって、


連続・非連続を分けてくれたら理解しやすいなあ。


例えば生きる事そのものは維持だから連続性が高い、つまり線形、


一週間に一度の習い事は間隔があるから、私の中では離散。


でも習い事の為の予習・復習は、その人によって非連続(離散)にも連続(線形)にもなる。


ましてや習い事を変えてしまったり、あれもこれも、となると、発散になる。


それぞれが発散すると拡散になる。


この時の時間軸は一定。線形で、つまり連続していて、幅も一定。


でも人の心はこの時間の幅が一定じゃないと思う。


一瞬の出来事だったけれどずっと覚えている、


長いけれど倦怠している、


一定幅だけれど内容によってはショックで抜け落ちている、


思い出したくもない、となってしまったから、その時から時間軸が寸断されている。


などなど。


朝から何、論理的思考しているんだろね(笑)


なんかね、ふとね、離散的で打ち上げ花火みたいな人生は、

華美で人を引き付けるしインパクトがあるかもしれないけれど、

余韻が残るもの(心が強く残したいと願うもの)と、そうでないものに別れたりする事も加わってくるとしたら、


連続・非連続、と一定幅の時間軸を前提にする概念を使う時、

単なる数学の問題でないリアルの人生で起こった出来事を対象とするには、


いくつもの、数学的物理学的にいうと、低次元化や畳み込みをしなくては成り立たないし、話題にも出来ないし、共通理解に届かせるには大変難しくなる…


…と、ここまで書いて再帰的に解った事がある。


『幅』の概念だ。絶対的物理時間を時計が表すものとしよう(こう書かなくても一般的にはそうだが(笑))、


この時やはり人の感覚やましてや思い出、記憶に関しては、この絶対時間が強く保持されている人もいれば(物理時間にかなり忠実)、

そうでなく、なんとなく、とか、いつだっけ、だとか間違えちゃったりする事がある場合と。


ここまでの話では、どっちがどう、とは触れていないし考慮してない。


ただ思考(知識)整理してみたら、こうなった、というだけの話。


けれども連続か非連続か、をちょっと考えるだけでも、物理的な文字数ではこれくらいはかかってしまうのが私の思考の特徴のようだ(笑)


ちなみにこの記事の書きはじめから終わりまでおおよそ30分。


少し深く考えたら30分で完結するらしい。


書き方は改行や画像を含め色々だけれど。


いつもガラケーなので大変疲れます(^_^;)


皆さん、ワタシがスマホユーザじゃなくて良かったかも、ですよ(爆)


よい一日になりますようにクローバー