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坪倉先生も本人が直感的に求めたものが結局残るその人そのもの、
 
と心の後押しして下さいます。
 
 
その時身に纏う反物はその時の心模様であり生きざまであり。
 
 
手アイロンでしっかりたたんであったので、
 
こうして浴衣を愛でてやっても、
 
衿が凛としていますよこしまかもしれない日常-1FL0591.gif
 
 
ほんのり桃色で可愛らしく、
 
少し元気を黄色に分けてもらって、
 
これども地盤は青く真っ直ぐ冷静でありたかった。
 
 
梅は敬愛する学問の神様・菅原道真公のモチーフ。
 
 
だから当時私はこの浴衣を選びました。
 
 
それを切っ掛けに先生は全体を美しく纏めて下さった。
 
 
敢えて昔ながらのコーマ生地です。
 
 
今でも張りがあります。
 
 
浴衣が、やわらかいんだけれど、芯が凛としている。
 
 
私はそのような様相を美しいと感じるのです。
 
 
この時間だから見つめる事が出来る自らの深部。
 
 
芯部…でもあるように思います。
 
 
たまたま今生のオブジェクトに具現化された。
 
 
そんな事をふとブログに書いてみました。
 
 
もともと拙い言葉しか持てなかった。

言の葉の多様な美しさにずっと気づかなかった。

村で随一の秀才と評判だった父の娘が、

言葉や記号や知識にする覚えが悪くなってはイケナカッタ。

強いられた。

どこまでもいつまでも強いられた。

行けば行くほどに更なる天才や秀才を見る。

必死に努力して来た事を一瞬で見抜いてサラリと加えてその先をもこなしてしまう人しかいなくなった。


親と同じ様に、そうとは知らない身内に、

弱音なんて吐けないし、

吐いても『またまた、ご謙遜を』と言われたりして、

本音を言った試しがない。


孤高なよこしま☆ちゃん…


は求められ続けて来た私。


菅原道真公を私に教えたのは父だ。


私は父が憧れた誰かの代わりというか後追いのような気がして、

父が亡くなっても延長線上を必死に生きて来たが、

遂に解らなくなった。


親に失望されたくなかった。

あの白けた眼差しが怖かった。


一方、衣装合わせをしただけだけど、

アンティークきものは経年による状態遷移で、

生地がとろ~ん、としている様に感じた。


熟成されたそれは、円やかになるようだ。


若くて張りが透けて見える浴衣、


熟した性質と風合いのアンティークきもの、


命の一生のようで、


いと、をかし。


…そのやうなことを、おもひながら…


…おやすみなさいよこしまかもしれない日常-1FL0357.gifよこしまかもしれない日常-1FL0460.gif