心身持ちませんでした。お詫びのメールを御出ししました。

丁寧に丁寧に。

礼節を弁えて。

指導教官(師匠)は、「大丈夫、大丈夫。気にしない、気にしない。」とフランクな返信を直ぐに下さいました。

安心しました。見棄てられ症候群でもある(独自診断)私は、泣いてしまいました。

認定退学しても、ずっと師弟関係があったと、精進した事実があったと、そう思って生きて行っても宜しいでしょうか、と孤立していた私はお伺いを立てました。

以来、出入りを自由にしていただいています。病気や特徴に対する理解です。

似たような特徴がある学生、大変厳しいバックグラウンドがある学生を、先生はお持ちだし、

東日本大震災に先だって、阪神の震災では御自身が被災しながら、お身内も学生を亡くしてもいらっしゃいます。

3.11も皆が国内外で活動している中、緊急(連絡)招集をしました。ネットワークを通じ、

国内外総ての学生の安否を情報収集しました。

その際に、私も休学していたのですが、事情を御存知だった研究室のメンバーは、私の安否も取りまとめて、

教授(指導教官)に連絡をしてくれました。

だからこそ今日は行きたかったんです。本当に本当に悔しいし情けないです。

子育てなんて、ふふん♪ってこなしたいです。けれども障害があったり、似たような特徴があったり、

事実厳しい環境に身を置いている子ども達を、たった独りの親ですから放置はしておけません。

ダブルバインド、トリプルバインドで心が引きちぎられそうになります。

ですので、直ぐの大丈夫という返信は、何よりの心の安定をもたらします。

「私は、どんな状況でも、見捨てられていない。」そんなもしかしたら、子ども頃に培えたらよかった安心を、少しお裾分けいただきました。

研究会は始まっていつも以上に教授が学生の発表内容と、それに対するコメントや議論内容を、

緻密にメーリングリストに投げて下さっています。

体は持って行けないけれど、布団の中でも、論理的に繋がっていられる。

それも指導教官からの享受です。有難いです。

そうです。私は、数多の人に見棄てられました。事実です。何か自慢できる子どもじゃないと愛せない、そう断言され、扱われながら育ちました。

だから、人とのお別れは、生きている間は本当に錯乱するくらい恐怖と成ります。

この感覚、理解して下さる人は希有で、実行して下さる人も希有です。

いざ、となると、いなくなる人を山ほど見て来たし、そういう意味では本当に裏切られてきました。

師匠は、本気で命を想って下さる。

そんな師匠や彼を師と仰ぐ仲間に出逢えたことを、嬉しく誇りに思います。

娘が最大の自傷をしてしまって、大怪我を負って、救命救急に運ばれた時も、

「お母さんなんだから、どーん、と、まず貴女が構えていてください。」と厳しく激励して下さいました。

そうです、殆どの人が狼狽したり、怖がったり、偏見をもって、いなくなりました。

そんな中、誰も頼る人がいなかったところで、妙に腹が据わったのを覚えています。

覚悟もしました。誤解だらけの救命救急隊員や救命救急士(みんなではありません:注)に、

毅然と立ち向かいました。

私は、倒れている人が今そこにいるのに、頼って来ているのに、逃げる人を命を想うものとして、

許すことはありません。


$よこしまかもしれない日常

この返信の署名を御守りに、そして、今別の場所で研究討論しているみんなに敬意を表し、

私も落ち着くために今から数学やります。

お薬じゃなくて学問が私には必要なのだと、また還って来ました。

そういう意味では、私や子ども達を見棄てた総ての人に感謝です。

情けない姿を恥も無く見せてくれて有難う。

反面教師で生きて行きます。