私は学部生の時は数学物理の数学専攻に進んだんですけれど理論物理学および基礎実験は必須だったので、加速器の事はもう当時から知っていました。
高校の先生方に京大卒の先生が多かったのと理数系に(今は英語らしいけど)力をいれていたので、京都大学の特に理学部は憧れでした。
今でもこっそり今出川キャンパスの方に雰囲気だけでも、と学食や生協の書籍部にに遊びに行ったりします。
今日、益川先生も仰っていましたが、ノーベル賞は目視して確認してから、という背景があるので、大学院生の時代に証明しても、50年とかかかっていたり、そもそも理論屋さんは生きているうちに頂けると考えて研究しておらず、後輩に引き継いで行くわけです。
そういう意味ではとてもじっくりコツコツなので、厳密には理学屋さんと工学屋さんとは違うんですよね。
私は生きる為に修士は半分工学、博士はもっと工学の割合が多いので、正直戸惑います。じっくりさんだから。
X+X=2Xが成り立つ事を数学的に二時間近くかけてゴリゴリ証明するんですよ(笑)
証明してからでないと応用に入れません(笑)
と、脱線しましたが、私の経緯もあり、理論物理屋さんは大変憧れの人。
湯川秀樹先生の美しい証明が京都大学百年記念会館(正門前のクスノキがある時計台)の閲覧室のガラスケースに入っていて見れますよ。
数式の美しさ論証の美しさにウットリウットリです

なので物理学賞はちょっと興奮しちゃうよこしま☆ちゃんです

先生のコメントに『生きている間に認められるなんて…』とありました。
素敵な先生だと思いました。
私はずっと誤解されて来た事が辛かったけど、もう一度あの頃の感性に戻って、
認められたいから学ぶんじゃなくて学びたいから学ばずにはいられないから、先輩後輩やジャンルが違っても仲間と刺激仕合ながら切磋琢磨しながら、人生をかけて不思議の真理を追求し、バトンを繋いで行きたいと思っていた感覚を思い出しました。
体調を整えて次の研究会には必ずでます。その後は国内外を問わず新しいメンバーのウェルカムパーティと新しい道を行くメンバーのフェアウェルパーティなので。
幹事の後輩君が事情(心が病気に成る程シビアな境遇にある事)を理解してくれた上で、
『もし体調が宜しければ是非参加下さい』と言ってくれました。
最初は後輩だから縦で仕方無しに言わせてしまっているのではないかと申し訳なく思いましたが、
結構みんな意外と苦労人ばかりで社会に馴染めなかったり真面目だから勤勉家だからと虐められたり、
素直過ぎて親友と思っていた人に保身から見棄てられたトラウマを持つ人たちばかりです。
でも自分に出来る事に真摯に向き合っています。
ご存知の通りアカデミックの世界は安定したポストになかなかつけません。
それぞれにプライドがあるのも知っています。年頃の楽しみを必要最小限にするか、あるいは不器用だから楽しめなくて、心のバランスを崩しながらも本当に奮起しています。
だから朝方論文投稿して多少呆けてフラフラでいても、体に鞭を打って皆さんが思っているより薄給でも研究や仕事をしています。
それでも生きている間に賞がいただけるのは稀。
それが解っているから受賞者は『代表して貰っただけ』と苦学生の基金を作られたりします。
だから大学の名前を聴いただけで勝手なイメージで恵まれているとか楽だとか、優遇されているとか辛かったです。
何もしていないのに知らない人に意地悪される事もしょっちゅうでした。
特に子どもに波及した時には本当に生きた心地がせず、心がボロボロになりました。
それほど普通とか一般は私にはまだ恐怖です。
子どもが見ているから無理して突っ張って平気な態度の様に振る舞っているけれど…。
だから学者が称賛される事は素直に嬉しいです。
今夜は休ませて貰って明日息子の通院と療育があるので、私に必要な学びを感じ取りたいと思います。
モチベーション上がりました。少しお腹が減るようになりました。
ノーベル物理学賞、おめでとうございます
