昨夜はすみませんでした。
シビアな事が重なったのだと思います。でもそれは立派な言い訳で、
見え方がどうであっても一つ一つ真剣に丁寧に真実に向き合う姿勢を、
変える理由にはならないですよね。
不思議君は核心をついた禅問答のような話を喧嘩ととらえます。
けれど私は自分を無にして、
健常的に生きてはこれなかった彼と徹底的に向き合い、
周囲に働きかけ心身を削ってきたという真実を持っています。
今は形にならなくても、
いつかきっと何かの形で通ずると信じたいです。
連絡がつきました。
実はブログには書いていませんでしたが、
昨日は病院のチームや、学校長と対峙する為に奔走していました。
動き始めたようです。
それから行政です。
息子の年齢が上がるに連れ話の規模が大きくなります。
それは別に苦にしていないのだけれど、
有名巨大な学校や病院や自治体の長と、
独りで向き合ったり、
そこで交わされる議論の精度を持ちつつ、
息子をリラックスさせる看護師さんや保育士さんの様な懐を併せ持ち、
臨機応変に数多の人に対して、
滑らかに切り替えるのは、
弱音でも愚痴でも言い訳でも自己弁護でも自慢でもなく、
かなりの至難の業なのです。
そりゃたまにはああなります。
けれど一瞬です。
命を想う強さは生まれ落ちた時から変わらない。
だからこそ情熱と冷静さを兼ね備えたい。
だから自分を鍛えたくて私は生きる。
それでは行って来ます!