とっても大切な事を書いていました。
いのち のことを書いていました。
けれど、パソコンの操作ミスで消失しました。
今は、書くな、ということでしょうか。
色々書きましたが、つまりは、どれも受け容れられていない、ということ。
受け容れた、と自分を暗示にかけて、乗り越えたと暗示にかけているに過ぎない、ということ。
そうじゃないと保てないし。・・・いいえ、もしかしたら、もう、とっくに、
壊れているのかもしれません・・・
そんな受け容れられて、乗り越えられるほど、簡単な事じゃないですよ。
あのまま、旅立ってもオカシクなかった、という事の連続で。
だから・・・だからこそ、今、こうして生きている事が奇跡なんです。
どうにかこうにか保っている状態です。
ただ、それだけ。
毎日を忙しくすれば、一生懸命生きれば、夢中になれる何かをすれば・・・
と奮闘しないと、きっといないのでしょうね。
自分のために生きるなんて感覚、最初から持ち合せていないです。
だから、生きているのかも。
「貴女がいなくなると、想像を超えて苦しむ人が居る」そう聴いて、それを信じてしまったからこそ、
生きているんだと思います・・・
ただ、それだけ・・・
でも、そう告げた人は、いなくなりました・・・
だから、やっぱり私は私の存在が解らなくなりました・・・
だから、何も無かった事にしたいし、変わらない事にしたい・・・
それを具体例を出して書こうとしていました。
だから、消失してよかったのかもしれません。
こんな事、抽象的にしか書けないです。
けれど、ホントの気持ち。ホントの事。ホントの心。ホントの感性。ホントの私。
ただただ、命と同化したかった。
おいていかないで欲しかった。
教会に通って、一生懸命祈って訊ねてみました。
「ホントに存在するのですか?」
「もし、おいでなら、お願いです!震災で亡くなった人や、未だ生きる必要があった人を返して下さい。」
本当に一生懸命、お祈りしました。
教会の人も優しくしてくれました。
泣いて泣いて仕方なくて、声が出ない私に、讃美歌を歌ってくれました。
でも・・・誰も帰って来ません。
お願いです。返して下さい。
勝手に、突然、連れて行かないでください。
そして、追いかける事を許して下さい。
それも、許しては貰えそうにありませんでした。
神様は、いるのか、私には、解らなくなりました。
あれからずっと解りません。
今は、解らないモノを信じる感覚が私には無いのかもしれない、という心の状態です。
いつからかなぁ・・・ものごころついたときからずっとです。
先日、八重の桜を見て、八重さんが、尚之助さんを亡くしたとき、「みんな、おいていってしまう」と呟きました。
プロデューサーや脚本家の人の感性だと思いますが、同じ言葉の気持ちを初めて聴きました。
それでも生きた八重さん、ってどんな人だったんだろう・・・
そう思ったりしました。
それしか言えません。
未だ、そんなところです。
たかだか、一週間強、外に出れただけです。
生きるってなんだろう・・・命ってなんだろう・・・学ぶってなんだろう・・・
奪われない心ってなんだろう・・・
そう思ったりしました。