ブーシュカもそうなんだけど…
記憶と記録って微妙に違う気がしてね。
記憶って曖昧だけど、そこはかとなく消えていくからまた美しいのかもしれない、とかね。
いま急にね、自分の中の記憶と実体験が次々と繋がってね、私にとってはこれがあの時聴いてずっと気になっていた事の私なりの答えかもしれない…と、
相対的に整理されつつあるところ。
何年レベルのものもあれば何十年レベルのものもあります。
でもそれぞれがずっと気になっていた事。潜在下に管理されていたとしても。
誰しもがこの様な考え方をする訳も、行動する訳も無い。
その発想に至るきっかけとなる事に遭遇する訳も、それをキャッチするセンサーを持ち併せる訳も無い。
私が拘ったのは自然派生的な自分の発想や行動。それが直感からでもいい。
とにかく誰かの受け売りそのままじゃなく、その誰かの思惑通りの形じゃなく、タイミングじゃなく、
私の自然派生のそれらでありたかった。
私の人生だから。
袖刷り合うも多少の縁。そう、たかだか多少の違い。けれども多少に明らかな差異が潜在している場合がある。
それらを見極めながら自分が何物なのかを逆算出する。
そうして生きて行きたいんだと思う。
私は私の事が私の主観で一番解らなくて苦手だから。
それでもきっと自我があり自助があるように思う。
強く弱くインスパイアされながら考え続けて体験し続けるんだと思う。
…って事が多面的にあっちもこっちも判ってきつつあるかな、ってカンジ。
論理的であり非論理的(笑)
そんなもんだよ(笑)
だけどそれに拘る(笑)
やっぱり私は変なヤツかもね(笑)
…何だか笑える、自分の事(笑)
変なの~

ってなかなか擽る表現だね(笑)
要は変わっているのかもしれないけれど、似たような感性や感度を持っている人からは、興味を持っていただける人、って事でしょう!
それって…
悪くないじゃん

ねっ


よい一日を
