区切りがついた後、
自分の心にケジメをつけたい、と、
不思議君が言い出し、
今は新校舎設立のために中身が移転してしまって、
閑散としている旧京都府立第一女紅場に行きました。
夜なので殊更真っ暗でした。
頑張っていた去年の今頃を思い出し、
そうして中学不登校を跳ね返し、
進学コースで受験する覚悟を決めた、
二月末の夜を思い出していました。
『仕方が無かったとは言え、
やっぱり悔しかったな…』
とポツリ。
「当っ…たり前じゃん!あんな不遇な事も、
世の中の理不尽な事にいいようにされたからなんだから!
…悔しく無い…
…訳が無い。」と私。
最初から最後まで一貫して一方的だった。
何の耳も貸して貰えさえしなかった。
耳を貸して貰えるかの様な思わせ振りな様子が、
余計に傷に塩を塗った。
許せるか、って問われたら、
恐らく許せない。でも、
いつか気にならなくなる位に、
踏ん張りたいとは思った。
いっぱい一緒に闘ってきた。
彼のいいところを、
うまく伸ばしてくれそうな、
…恐らく父が生きていたら、
せめて心のやり場のヒントくらいは、
貰えたかも知れない。
『なぁ、』
「ん?」
『お爺ちゃん生きてたら、
僕と一緒に眠々(←父が京都の学生の頃に通ってた中華料理屋さん)行ってたかな。』
「言ってたろうね。
また言ってたん?…って話になってたろうね。」
『そっか。』
「うん。」
二人で歩いて御所の東側あたりから寺町通り~京都市役所~ホテルオークラ~河原町通り~丸太町通り…
と帰って来ました。
思いがけず父の話になった夜でした。