
(画像はwikipediaから御借りしています。)
スイレン属http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%B3だそうです。

(ブルー・ロータス)

(ホシザキスイレン)
・・・です、って。
で、どうして、スイレン(睡蓮)に行ったか、というと、
表現型の可塑性http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E5%9E%8B%E3%81%AE%E5%8F%AF%E5%A1%91%E6%80%A7
を見ていたからで、
どうして、表現の可塑性を見ていたかと言うと、
塑性・可塑性を考えていたからです。塑性http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%91%E6%80%A7
じゃ、どうして、可塑性を考えていたかというと、かつて、メディアセンターの某教授に、
「教育は可塑性だからね」と言われたからです。
力が加わって歪んだら、歪みっぱなし。元に戻る事が弾性だから、そうじゃない、という事を仰ったのだと思います。
私には大変ショックな言葉でした。
その教授は何についての教育をおっしゃったのか明確にはなりませんでしたが、
例えば、勉強したら、勉強しただけ、賢くなる?それ、ホント?って思ったし、
在った事は必ず、無かった事にも、忘れる事も出来ないって事?それ、ホント?って思ったりしました。
たとえば、加齢で脳が委縮していきますよね。必ず誰しもが均一に脳が委縮しますか?
しませんよね?
とすると、委縮した部分によって、症状が変わって来ますよね。
でも・・・やっぱり・・・これを言うには、脳機能が部位によって、どう違うかを、学習して知識を身につけているから、
反論できるのであるとすると・・・
やっぱり、教育は、可塑性なのでしょうか・・・。
実はパラドックスが起こって欲しい、と、私こそが願っているのかもしれません・・・。
生きる、って、なんだろう???
・・・なんだろう・・・
・・・。