女子の都合と発達障害の感覚過敏とで激痛と闘っている時期のよこしま☆です。
搬送される少し前から近年稀にみる絶不調で、なんと安定剤が足りなくなるという状態で、今日は病院に急遽連絡しました。担当医は病棟長で大きな病院ですが常勤のお医者さんなので、本当に助かります。
その様な時こそ慌てず俯瞰しつつも即断でき患者にストレスを与えない言葉を選べるお医者さんやスタッフがいて下さる所は本当に助かります。
私も最近は素人なりに病院内にある医療スタッフが集う専門書が置いてある書店で、まずは似た病気の人が何をストレスに思い、どういう声かけが好ましいかが掲載されている看護学のポケットリファレンスを読み初めました。言語化出来ると、感情が整理出来て、もどかしさからくるイライラも軽減しますし、知識が体系的に得られるので、『だから、つらかったのか~!』に始まり『具体的にはこういう状態だったんだな。』と自分を俯瞰でき、やはり冷静になれます。(感情が無くなるのではありません。不快な感情が大人しくなっていくのです。)
そこで、タイトルの話をしますね。
私は学外にも会議(普段の研究を発表して数多の興味ある先生によりブラッシュアップしていただけるオーディションみたいなもの)で知り合った沢山の大学教員の方がおいでです。
人間というものを人生をかけて理解しようとしている方々です。
そのお一人に女性の先生がいらして、ひょんな事から自分の指導教官の許可を得て、研究指導を賜る機会に恵まれました。
皇族の皆様が通う学校で修士課程迄終えられた後、改めて赤門のある大学の修士課程から入り直し博士号をお取りになった、大変努力家の先生でおいでです。
多忙なお時間をさいていただくのですから、私は研究資料とは別に先生の研究室のスタッフや学生の皆様に手土産をさげて上がらせていただいていました。
一通り研究指導を賜り、帰路につく際には、恐れ多くも先生はエレベータホールにお見送り下さり、下階に向かうボタンを率先して押して下さり、
『ここで失礼します』と、なんと私なんぞに、エレベータのドアが閉まりきるまで、深々と頭を下げて見送って下さっていました。
私も『ははーっ』とドアが閉まりきるまで、90度、お辞儀しました。ドアが閉まりきったかの確認は頭を下げた状態で少し目線を前にすると、ドアが視野に入るので解ります。
その先生の平素からのご様子に大変感銘を受けた私は、京都について直ぐお礼のご連絡を差し上げ、素直に感動した事をお伝え申し上げました。
すると、
『そう言っていただくと、大変面映ゆいです。』というお返事を賜りました。
私は恥ずかしながら『面映ゆい』という語彙を持っておりませんでしたので、直ぐに国語辞書で調べましたら、『恐縮します・恥ずかしいです・照れます』などの意味がある事を知ると同時に、なんと美しい言葉をお持ちでもある先生なのでしょう。と、更に感動したのです。
以来、その先生とメールさせていただく度に、素敵な表現を別の使うに適する場合に使わせていただきました。
すると先方のいずれも様が、素敵なお言葉でお返事を下さいました。
私がそれまで私の周りには無かった言葉を知って、その美しさを知って、そのお言葉や所作が身についておいでの先生と実際に関わらせていただいた事こそが、私をそれまでからは未知の言の葉の世界へ誘われたきっかけです。
最後に誤解の無い様に書きますが、私の特に大学の関係者は、帰り道だったり、忘年会で多少は無礼講となっている時間帯以外は、教授の皆さんが、例え相手が子どもさんであっても、敬語といいますか丁寧語を崩す事は滅多にありません。
少し砕けた方が相手様の緊張が溶ける場合には平たい表現をさせていただきますが、スラングは一切ありません。
そもそも、敬語や丁寧語や謙譲語を正しく知り、その上で、『面映ゆいです』というお言葉を教えていただいて、確かに立派な方なので緊張はしますが、威嚇や強迫などの言葉はありませんので、怖いという感情はありません。
私は生育上、残念ながら周りには、関西弁でイキリやイチビリと言った言葉や、両親の喧嘩が耐えなかったし、親戚同士も本当に不仲だったので、威嚇や強迫やスラングしか無かったと言っても過言ではありません。
唯一、12歳の時に亡くなった母方の祖母は、家の事情で学は無かったけれど、人にそうする所は見た事はありません。
そのおばあちゃんの数いる孫の中で、私だけしっかと手を繋いでもらって、田圃の畦道を一杯歩いてもらった事がありました。
弟が生まれたから、と、病院に向かう為です。
私は『オトウト』の意味を知りませんでした。二歳と九ヶ月の記憶です。
その日から家の中心はすべて弟になりました。私は両親からもかまってもらえませんでした。
寂しくても『オネエチャンでしょ』という言葉を聴きました。寂しい事を我慢しなさい、自分を抑えなさいの合言葉でした。
両親とも、きょうだいの末なので、弟に共感しやすかったのだと思います。
以来私は孤立して生きて来ました。
だからヘレンケラーがサリバン先生から『水』を覚えたような感覚で、おそらく『面映ゆい』を覚えたのだと思います。
他にも素敵な言葉があったら是非お友達になりたいです。
そうしてもう少し回復したら、不可抗力とは言え、大変数多の先生にご尽力賜りながら、未だに自立できていない不義理を、お詫びしたいと思います。
許されるなら、学びと、それを惜しげもなく享受して下さった人達だけが私の唯一、今生で与えられたものですので、いつか再会したいです。
私が一番この身体には困っています。
もっと知ってもっと付き合い方をしって、しっかりケアしないと、先ずはいきられないし、子どもを不安にさせる。親としてそれは、回避しなければ。あと何年一緒に居れるか解らないけれど。
ですから、辛いですが、私を不可抗力であれ、傷つけて、その自覚の無い人とは、距離を置かせていただきます。
本心はどなたも別け隔てしたくないです。
けれど身体はひとつしか無くて、この様な環境です。
決して努力をしないとは申しておりません。
今は自分の体さえ自分で憶測が出来ないほど、恒常を保てない程、様々な人生の疲れや無理を溜め込んでしまいました。
子どもが小さかったから仕方がありません。
けれどそれからは、もう二人とも私より大きくなったのだから、真の人としての自立を伝えるべく、私が安堵する理解ある人を増やして行ければいいな、と思います。
『面映ゆい』から派生して壮大で複雑で深い話になってしまいました。
でも実のところ、普段から考えている事です。
なので、あまりにもお気楽過ぎる人を見る時、羨ましいやら嫌悪やらで、混乱して不調になってしまうので、
徐々にパーソナルスペース(心の距離)を取る事を、もうそろそろ実行してもいいかな、と思い始めました。
とても長く待ちました。
子ども達の成長なくしては、出来ない事だったからです。
そういう意味では物心ついた時に弟が生まれ、肉親が一番厳しかったから、有り難う!ってカンジです。
他人の方が優しい事、沢山ありますよ。
だから言うのでしょうね。
『親しき仲にも礼儀あり』って。
そうして私は思います。
『親しき仲にこそ礼節あれ』と。
遅くに長文を失礼しました。
書いて置きたかったのです。
今のありのままを。
お薬が効いて多少楽になったからだと思います。
切れてまた激痛が来る迄に書きたかったんです。
最後まで読んで下さって有り難うございました。
よこしま☆
搬送される少し前から近年稀にみる絶不調で、なんと安定剤が足りなくなるという状態で、今日は病院に急遽連絡しました。担当医は病棟長で大きな病院ですが常勤のお医者さんなので、本当に助かります。
その様な時こそ慌てず俯瞰しつつも即断でき患者にストレスを与えない言葉を選べるお医者さんやスタッフがいて下さる所は本当に助かります。
私も最近は素人なりに病院内にある医療スタッフが集う専門書が置いてある書店で、まずは似た病気の人が何をストレスに思い、どういう声かけが好ましいかが掲載されている看護学のポケットリファレンスを読み初めました。言語化出来ると、感情が整理出来て、もどかしさからくるイライラも軽減しますし、知識が体系的に得られるので、『だから、つらかったのか~!』に始まり『具体的にはこういう状態だったんだな。』と自分を俯瞰でき、やはり冷静になれます。(感情が無くなるのではありません。不快な感情が大人しくなっていくのです。)
そこで、タイトルの話をしますね。
私は学外にも会議(普段の研究を発表して数多の興味ある先生によりブラッシュアップしていただけるオーディションみたいなもの)で知り合った沢山の大学教員の方がおいでです。
人間というものを人生をかけて理解しようとしている方々です。
そのお一人に女性の先生がいらして、ひょんな事から自分の指導教官の許可を得て、研究指導を賜る機会に恵まれました。
皇族の皆様が通う学校で修士課程迄終えられた後、改めて赤門のある大学の修士課程から入り直し博士号をお取りになった、大変努力家の先生でおいでです。
多忙なお時間をさいていただくのですから、私は研究資料とは別に先生の研究室のスタッフや学生の皆様に手土産をさげて上がらせていただいていました。
一通り研究指導を賜り、帰路につく際には、恐れ多くも先生はエレベータホールにお見送り下さり、下階に向かうボタンを率先して押して下さり、
『ここで失礼します』と、なんと私なんぞに、エレベータのドアが閉まりきるまで、深々と頭を下げて見送って下さっていました。
私も『ははーっ』とドアが閉まりきるまで、90度、お辞儀しました。ドアが閉まりきったかの確認は頭を下げた状態で少し目線を前にすると、ドアが視野に入るので解ります。
その先生の平素からのご様子に大変感銘を受けた私は、京都について直ぐお礼のご連絡を差し上げ、素直に感動した事をお伝え申し上げました。
すると、
『そう言っていただくと、大変面映ゆいです。』というお返事を賜りました。
私は恥ずかしながら『面映ゆい』という語彙を持っておりませんでしたので、直ぐに国語辞書で調べましたら、『恐縮します・恥ずかしいです・照れます』などの意味がある事を知ると同時に、なんと美しい言葉をお持ちでもある先生なのでしょう。と、更に感動したのです。
以来、その先生とメールさせていただく度に、素敵な表現を別の使うに適する場合に使わせていただきました。
すると先方のいずれも様が、素敵なお言葉でお返事を下さいました。
私がそれまで私の周りには無かった言葉を知って、その美しさを知って、そのお言葉や所作が身についておいでの先生と実際に関わらせていただいた事こそが、私をそれまでからは未知の言の葉の世界へ誘われたきっかけです。
最後に誤解の無い様に書きますが、私の特に大学の関係者は、帰り道だったり、忘年会で多少は無礼講となっている時間帯以外は、教授の皆さんが、例え相手が子どもさんであっても、敬語といいますか丁寧語を崩す事は滅多にありません。
少し砕けた方が相手様の緊張が溶ける場合には平たい表現をさせていただきますが、スラングは一切ありません。
そもそも、敬語や丁寧語や謙譲語を正しく知り、その上で、『面映ゆいです』というお言葉を教えていただいて、確かに立派な方なので緊張はしますが、威嚇や強迫などの言葉はありませんので、怖いという感情はありません。
私は生育上、残念ながら周りには、関西弁でイキリやイチビリと言った言葉や、両親の喧嘩が耐えなかったし、親戚同士も本当に不仲だったので、威嚇や強迫やスラングしか無かったと言っても過言ではありません。
唯一、12歳の時に亡くなった母方の祖母は、家の事情で学は無かったけれど、人にそうする所は見た事はありません。
そのおばあちゃんの数いる孫の中で、私だけしっかと手を繋いでもらって、田圃の畦道を一杯歩いてもらった事がありました。
弟が生まれたから、と、病院に向かう為です。
私は『オトウト』の意味を知りませんでした。二歳と九ヶ月の記憶です。
その日から家の中心はすべて弟になりました。私は両親からもかまってもらえませんでした。
寂しくても『オネエチャンでしょ』という言葉を聴きました。寂しい事を我慢しなさい、自分を抑えなさいの合言葉でした。
両親とも、きょうだいの末なので、弟に共感しやすかったのだと思います。
以来私は孤立して生きて来ました。
だからヘレンケラーがサリバン先生から『水』を覚えたような感覚で、おそらく『面映ゆい』を覚えたのだと思います。
他にも素敵な言葉があったら是非お友達になりたいです。
そうしてもう少し回復したら、不可抗力とは言え、大変数多の先生にご尽力賜りながら、未だに自立できていない不義理を、お詫びしたいと思います。
許されるなら、学びと、それを惜しげもなく享受して下さった人達だけが私の唯一、今生で与えられたものですので、いつか再会したいです。
私が一番この身体には困っています。
もっと知ってもっと付き合い方をしって、しっかりケアしないと、先ずはいきられないし、子どもを不安にさせる。親としてそれは、回避しなければ。あと何年一緒に居れるか解らないけれど。
ですから、辛いですが、私を不可抗力であれ、傷つけて、その自覚の無い人とは、距離を置かせていただきます。
本心はどなたも別け隔てしたくないです。
けれど身体はひとつしか無くて、この様な環境です。
決して努力をしないとは申しておりません。
今は自分の体さえ自分で憶測が出来ないほど、恒常を保てない程、様々な人生の疲れや無理を溜め込んでしまいました。
子どもが小さかったから仕方がありません。
けれどそれからは、もう二人とも私より大きくなったのだから、真の人としての自立を伝えるべく、私が安堵する理解ある人を増やして行ければいいな、と思います。
『面映ゆい』から派生して壮大で複雑で深い話になってしまいました。
でも実のところ、普段から考えている事です。
なので、あまりにもお気楽過ぎる人を見る時、羨ましいやら嫌悪やらで、混乱して不調になってしまうので、
徐々にパーソナルスペース(心の距離)を取る事を、もうそろそろ実行してもいいかな、と思い始めました。
とても長く待ちました。
子ども達の成長なくしては、出来ない事だったからです。
そういう意味では物心ついた時に弟が生まれ、肉親が一番厳しかったから、有り難う!ってカンジです。
他人の方が優しい事、沢山ありますよ。
だから言うのでしょうね。
『親しき仲にも礼儀あり』って。
そうして私は思います。
『親しき仲にこそ礼節あれ』と。
遅くに長文を失礼しました。
書いて置きたかったのです。
今のありのままを。
お薬が効いて多少楽になったからだと思います。
切れてまた激痛が来る迄に書きたかったんです。
最後まで読んで下さって有り難うございました。
よこしま☆