梅になりたいのです。 飛び梅に。
『東風吹かば にほひおこせよ梅の花
主なきとて 春な忘れそ』
私は小学生の頃、言葉を持っていませんでした。
言葉というか、知識を持っていなかったんですね。
社会(地理)の時間に、標高の高い山を挙げなさい、という先生の問い。
社会の補助教材の日本地図を皆は見て、それで、「富士山!」とか言うわけです。
私は自信満々に手を挙げました。先生が私を当てました。
『妙見山!!!』
クラスじゅうに張り詰めた、白けた空気。
数日前に遠足で、妙見山に登ったのでした。
当時住んでいたのは、大阪府吹田市。
あずき色の阪急電車の千里線に乗って、いつもは梅田迄は、エレクトーンのレッスンで、3年生から独りで通っていたけど、もっと遠く。
十三で乗り換えて、宝塚線に乗り換えて、川西能勢口まで行って、それで能勢電鉄に乗り換え。
山下駅で分岐して、妙見口へ。これだけでもヘトヘトなのに、山登りが趣味の担任の男性の山男のような先生は、そこからまだ児童を歩かせました。
東京の中野に住んでいた時も、一年生の時に東村山の多摩湖に行った時も相当辛かったけれど(集団で人に合わす辛さもあったと思う。今、思うと、発達障害なのに、よく頑張っていたと思う。)、
だから、体感で、「本当に登るのが大変なくらいの山だった。高かったなあ~・・・。」と思ったのが、妙見山だったので、そう答えました。事実、山登りは初めてでした。
クラス全員が笑いました。その時に、自分が間違っていると気付いたのです。
資料の見方も解りませんでした。
それでも、勉強が出来るようになれ、と、親には強いられて来ました。
今、想えば、どうして、勉強だけを出来るようになれ、と親が言ったのかは解りませんが、
当時の「秀でた普通」になれ、だった気がします。
・・・今想うと、この特徴が障害といえるほど強いのに、随分と無理していたんですね。
それで、京大大学院の博士課程認定退学まで行って、身体壊しちゃって障害者になったんなら、
もう頑張った、って言っていい?
まだ、頑張らなくちゃイケナイ???
もし、想いがあっての勉学なら、それはするよ。想いを実現するために必要なら、甘んじて引き受けるよ。
でも、人より抜きんでるためだとか、野心だとか、収入のため(実は、給料体系いくらか知らない^^;)なら、やらない・・・っていうか身体がフリーズして動かなくなるの。
それも特徴だよ。どうしようもないんだ・・・障害だからね。努力や頑張りではどうしようもない特徴。
受け容れるしかない特徴。
けれど、この特徴、嫌いじゃないよ。
じゃ、診察、行って来ます!
センセーや、スタッフさんたちと、お話してこよ。
みんなやさしいよ?
長いすで寝ていてもいいんだよ。
辛い時は寝ていてもいいんだって。
そんな事、病院に通院するまで、無かったんだよ。
人生未だ平均寿命になってないけど、結構頑張ってきたと思うなあ・・・
だとすると、私より先輩の方で、診断がついていなくて、適切なケアをしてもらえないでいるひと、
大変だと思う・・・
今日、どうにか、食べられたら、ちょっとくらい空腹でも、それでもう凄いんじゃないかなぁ・・・
心は飛び梅。
いつもね♪