そこのスーパーの軒先にお店が出ていました。こないだ御話したおばあちゃんがくれた飴がありました!!

当時の私は大阪の八尾市という処に住んでいました。この飴、ライオン菓子株式会社さんのお品。東京都文京区小石川なんですね。なるほど・・・小石川、まだ行ってないです。
本郷や根津あたり、興味津々なんですよね~・・・。で、
そのスーパーの御隣にあるのが生地屋さん。軒先にスッ!と立っておられるのが店主であるお爺ちゃん。御年94歳!
不思議君が1年生の時、研究と仕事と家事育児で疲れていたんでしょうか。彼も下校時に自転車の学生さんとぶつかって転倒、前歯を折ったんです。
その時、我慢していたみたいなんですけど、我慢し過ぎ!雨の中、まだ間に合う歯医者さんを訪ねて向かう途中で、「私が」足を取られて転倒!!!!(親子で転倒だ^^;)
その際、左足の靭帯を損傷しちゃったんですよ・・・それからギプスで松葉杖。当時は聖護院に住んでいたので、お爺ちゃんのお店の前を通って、お姉ちゃんと不思議君の送迎をしていたんですね、大きな交差点というのもあるし。
その時に、自分が急いでいるから退け!!って態度をするのは若い人。お婆ちゃんやお爺ちゃんが声をかけてくれました。
小学校の給食着の何かか、とにかくお裁縫をする用事があって、そのお爺ちゃんの所に行きました。
お爺ちゃんは心配してくれました。御自身はもう、90近い御年で、それだけでも見た目に20は若いであろう、と思っていたので、驚きました。それで、お見足には人工骨を入れておられる。
その足で毎日店先に立つ。ずっとずっと店先に立つ。その際に、どんな病院でどんな医師とどんな治療をどんなスタンスでしたのかを伺って、お勉強になりました。
久しぶりにお声をかけました。お忙しくしていらっしゃるので、お邪魔になっては、と思っていたし、おそらく忘れておいでだと思っていたので、これまでは私もなんとなく会釈にならない会釈をして、素通りになってしまっていました。。
けれど、今日は気がつけば声をかけていました。少し耳が遠くなられたようでしたが、「あの時御話してくれはって心が助かったんです。お元気そうで何よりです。」と。
するとお忘れのようでしたが、そんな事があったという事に喜んでいただけたみたいでした。
そうして御年を聴いて、その後、戦争で、シベリアから満州に行って、4年つとめて、引き揚げさせてもらったけど(←引き揚げ、を、当たり前と思っておられないお言葉づかいでおいででした。)、
滋賀に帰った仲間も、九州に帰った仲間ももう34人だれもいなくて、僕だけやねん、と。
今の日本を支えてくれはったお一人。深いその御話に、気軽にお声をかけさせていただいた事そのものを少し後悔しました。
けれど、やっぱり御話してくれはったと言う事は、少しくらいは心を開いてくれはったからやと思うのんで(そう御着物の先生が私に言うてくれはった時に、解った捉え方です。有難い。)、
有難かったです。そうしてやっぱり「また、子どものん何か作るのに、お店に来させて貰うのんで、いつまでもお元気でいて下さいね♪」と、深く頭を下げずにはいられませんでした。
お婆ちゃんの飴と、お爺ちゃんのお店。
御話すると、お辛いかもしれないけれど、たくさん、経験談という、貴重な、時空を超えた、素晴らしい命の交流をさせていただける。
ほんに、有難い。
ほんに、有難い。
おやつに懐かしい味を堪能しつつ、色々とセピア色の当時を思い出しています。
心の交流を。