気持ちを閉じ込めてしまうタイプなので、こうしてブログでようやく、ちょっとずつ吐露する練習をしています。
もちろん人様が読んで不快にならないよう、個人名や特定される事は回避しています。
後は・・・今はちょっと思いつきません。ごめんなさい。
最近、急激にペタが増えました。最初はなんとかツールで多かった時もあるけど、
そうじゃなくて、ちゃんとブログを宣伝じゃなくて、言葉や歌や画像や音楽を通じて自分のこころを発信してはる人のペタが増えて来ました。
有難いです。ほんまに。
元々、絵ばっかり描いてて、親が心配した子。
次は音楽ばっかり聴いて、やっぱり心配された子。
身体が弱くて、心配された子。
一発発起して、勉強したけど、体力的にも知力的にも権力的にも(←これが一番あらへん・・・)
途中で折れて、こころに障害を負った子。
それが、わたし、です。
直感が鋭くて嫌がられます。
娘も息子も、普通に反抗期で、嫌なんだそうです。
私は・・・色々と事情があって、鎮かな優等生をしないと生きて来れなかったので、
なんだか・・・子ども達が羨ましいし、理解が難しいし。
物ごころついた時には、もう反抗できる環境じゃなかった。
2,3歳でもしなかった。小学生の高学年の時に、友達と歩いている時に、お父さんが声をかけてきて、
知らんふりしちゃって・・・たったそれだけでとっても後味悪かったから、やめた。
苛められっ子だったから、孤立する辛さ知ってたから、やめた。
色々やめていきてきた。
だから、そんなに欲しくないのに、流れで欲しい、っていう人がいるのを知らずに育った。
切望していると思って、自分が切望しているものを、お譲りした後、飽きて大切にされなかった事、いっぱいで、悲しい気持ちで育ちました。
そうしているうちに、自分が切望しているものが、解らなくなりました。
こころ、を、搾取された感じだからだと思います。
搾取というか略取というか・・・
わたしは、わたしを、とりもどしたい。
わたしは、わたしのこころを、とりもどしたい。
わたしにとってのこころのしんさつは、そうであると、ながいながいたびであると、おもったりしています。
あれ?どうして脳内で美空ひばりさんの「川の流れのように」がなっているんだろう・・・苦笑・・・
作詞は秋元康さんだっけ・・・遥か遠く故郷が・・・か・・・
わたし故郷、わからないんだ・・・
あちこち親について、移ったからね。
ジプシーのようなボヘミアンのような・・・
今は京都だけど・・・どうなるんだろうね・・・だから、
こころのふるさと探してる。
こころのふるさとは土地家屋だけじゃない。
おおよそ、気付いている。
あるじじょうがあって、わたしには、ふるさとが・・・なくなった・・・
ふるさとというゆめ、さがすのがじんせいなのかも。
こころというふるさとかもしれない。
わたしのこころ、どこにいるんだろうね。
川の流れのようにの歌詞には、夢を探す時、愛する人を連れているんだよ。
わたしの夢は、こころというふるさとで、愛するのは音楽、それも多感な時期を一緒に過ごした音楽だと思う。
それが、今は・・・聴けないんだ・・・
いつか、聴けるかな。 いつか、こころのふるさと、再会できるかな。
虚勢じゃなく、あの時のこころで、聴けるかな。
いつか。
・・・そんなわたしのぶろぐへ、みなさん、ペタ、ありがとう。
おやすみなさい・・・(こんやも、ふあんで、ねむれなかったら、ごめんね。)