
素晴らしい工芸展でした。
期間中にまた足を運ぶと思いますが、
染めも織も、抽象度もモチーフも、余すところなく、それでいて人生の集大成の個性という名の技法…。
委員の皆さんは学識者でもいらして、解説に書かれていた未知の語彙により、作品がどれほど素晴らしいか更に壮大さが増してもいました。
私のお願いも規定の中で泳がせて下さるという意味の懐の深さとでもいいましょうか…。
今日、ミュージアムにいらして、案内して下さったのは、染識家さんでした。
草木も化学染料も顔料も糊の技法までも言葉と僅なジェスチャーを添えて教えて下さいました。
最近の流行りで言うとパステルアートだと思います。私はまだ一回も行っていませんがおそらく描き込むのではなく、色ありきで、消して行く事により、絵にするんですよね。違っていたらごめんなさい。
百貨店だから、別の場所では、掛軸があったり、日本画や石膏画があったりして、絵を愛でるのと同時に様々な技法の勉強になったり、
日本人は欧米で認められて逆輸入形式でないと、認めない土壌が悲しいかなある事も同時に確信しました。
着物に話を戻しますと、解説の人とは多少の齟齬はありましたが、お話しているうちに、数学の幾何学も、化学の熱反応も技法の一部であり、それを工芸語句といいましょうか、技法の名前で表現されていました。
学識者は職人とその技を敬愛し、職人は自分の技と心(感性)を表現する学識者とその言葉を相互敬愛して、成り立っているのだと思いました。
それを更に俯瞰というか勘案しマネージメントするミュージアムのスタッフ。
三位一体だと思いました。
だからこそ、さっき書いたスタジオのスタッフさんの独り善がりな辛辣な文言が、まるで私と私の周りへの僭越ながらの配慮を冒涜したものと成っていたので、全力で説明し、
同時にどれだけ残念な思いでいるかを、スタジオスタッフの人のメールを本社に転送して、皆で考える方向にお願いしました。
船頭に委ねたのです。
その結果、相容れない事に成っても、もう構いません。
先方の仕組みはわかりましたから。けれど、先方は会社であり、社会貢献が会社の理念のひとつであるはずなので、だとすると、やはり、
会社側のスタッフが先に蔭でコソコソと捉えられる様な言動は本末転倒だと考えます。それこそ解せません。
工芸品と音楽。同じ芸術なのに、どうしてこうも違うのでしょう。
不可思議で今の今まで悩んで苦しんでました。
パニック発作が出なくて良かったです。
明日診察であった事実をお話してきます。
お医者さんはハッキリものを言うので、
『悩まないでいいですよ。だって研究の方が比べ物にならないくらい難しいんですから。』と、先週言われちゃったところです。私は愚問でグルグルしていた事になります。お医者さんは一般的には、理科系の頭脳の最高峰とされていますし、大学病院の先生だから、予想はつきます。
今月から国際会議かなにか、学会出張が続くらしいので、診察予約が大幅に変更です。
研究室では、教授の鶴のひと声で(メールだけど)、大規模研究室が、一糸乱れず動く必要があります。
なので数多の語彙獲得は当たり前、速読当たり前、意図抽出当たり前、優先順位のソート当たり前、思いやり当たり前、
以前、あかしあさんが仰有ってた、はなもちならない人の大きな集合体なんです。
だから京大というだけで、極端に依存されたり、馴れ馴れしくされたり、反対に気分で絡まれたりするんです。辛いです。
私たちは不思議な事、困っている事を一生をかけてどこまで研究ができたかを示し、後輩の道標を作っているのです。
雨の日も風の日も。何も私たちは変わりません。周りが大騒ぎ、です。晴れても変わりません。
それでもまだまだ。まだまだ、です。
あのスタジオの人には、そういう志をもって仕事に挑んでもらいたいです。