さっき、メールで(←某先生は、発音に即した表記をするべきだ!とメイルと書かれます。最初はメールではありません、メイルです。とお叱りを受けました。メールの冒頭に「お疲れ様」は日本語の在り方として正しくない使用法で気持ちが悪いので改めて下さい。と何度も書かれていた時期がありました。最近はもうおっしゃりません。「そのように使うのが今のここでの文化なんだな」と馴染まれて来られました。ですが、ご本人がアナウンスメントをされる際には、「私んにメイルを下さい。」と書かれます^^;)、
・・・って( )が長いから本筋がどっか行っちゃったじゃないのよっ^^;
えっと、さっき指導教官からメーリングリストにメールが来ました。大学にアカウントを残して貰っているので、体調の悪い時は自宅で閲覧できます。
最初の発表者に対する研究的側面からのコメントを投げられます。専門用語でも最近の研究動向の用語が入って来ます。文書構造についてがんがん書かれます。
コンピュータサイエンサーさんですが、概念を構築しているのはテキストなので、言葉を理解しないと話が出来ないのです。文書は構造を持ち、それは縦構造であり分岐しています。
データベースでいうところのB木(B-Tree)です。情報処理技術者試験を受けた方、懐かしいですね~♪
で、その、
『ある語彙空間があるとき、ユーザの意図がどう表現出来て、今必要とする時、どんなアクションや思考が発生して、その意図と必ずしも検索に使うキーワードとは必ずしも完全一致していないので、それをどう工夫すれば、ユーザの求めている意図に限りなく忠実な結果(文書集合)を抽出できるか』
を研究している研究室なんです。きっとコレ↑、ちゃんと説明出来ていないし、齟齬あるし誤植もあるし、私の文書の構造が美しく整形されていないから、相当お目玉頂戴するね、きっと・・・orz・・・
なので、単にパソコンをパチパチしているだけの研究じゃないのです。なのに、アテモノのように「では~なんですね!」という御話のし方をする人がいるから、「違います」と言うのです。
詳しくは一度研究会に参加して内容を見て下さい。真面目に研究内容を知りたい人は、オープンキャンパスで入って下さい。学部生くらいのは見れます。で、更に知りたい場合は、御自分が発表できる資料をお持ちの場合は、資料をお持ちになってアポイントメントをとって来訪して下さい。
その時の資料を考えるのは、何ですか?言語ですよね。ということは、例えば、先日のはやあきつ姫さんだとすると、
「私は、カタカナムというものを研究しています。このカタカナムというのは・・・」から始まりますよね。説明して理解してもらうには、どう書けばいいか、これはまたうちの研究室で研究している内容とは違う話になりますが(←このこと自体を研究している人もいます)、兎に角、
説明するにも理解するにも文書(単語の集合体・・・もう少し詳しく言うと、半順序集合)が必須になるわけです。
なので、対話において、私は未熟ですから、おっしゃった事をそのまま信じてそのまま理解します。解らないことがあれば質問します。これまで回答をしてもらえなかった事はありません。もし、回答をされない理由が、屁理屈というか論理のすり替えである場合も、それは見抜かれます。
後で必ず回答します。時間を下さい、はOKです。研究内容については、これらが必ず成立します。
もし、先生やスタッフがドアを叩いているのに返信が無い場合は、忙しくてスル―か、何度もドアを叩いてもスル―の場合は、先生が門前払いをしたのです。人を見てお出でです。
話にならない場合はスル―です。「初めまして。突然の御連絡失礼いたします。私は何とかという処に属している、なんとかという名前のものです。現在の私の研究は~です。先生の研究室のほにゃららという研究に大変興味を持ちました。特に・・・という部分に興味を持ちました。ご多忙中申し訳ありませんが、一度研究室を訪問させてはいただけませんでしょうか?」を出して、どうにかなるか・・・???てなもんです。
で、これを経て無事見学でもなんでもいいのですけれど、そのあと入学試験になります。
過去問題は提供していますから、教務課に連絡して取りよせて受かるように勉強して下さい。つまりその知識があってからでないと話についていけませんよ、という意味です。
けれど、最初に文書の話をしました。文書以外に何かアピールできる何かがあれば、それをお見せになってもいいと思います。その場合は、上のメールの文言はあまり参考にはしません。
文書に特化して研究したいという場合、メールの文言が酷く、これは指導しようが無いと言う書き方の場合、残念ですが、ご縁がありません。
あとは・・・先生が興味を持つかですね!つまり何らかの魅力的な人である必要があるのです。
でも・・・人間性では食べて行けない側面もありますから、クレバーであることも・・・時には必要かもしれませんね。できればワイズであってほしいです。
私は話が冗長で、コンパクトに纏められないと、発達障害の医師に言われます。けれど、文書において、どの単語も、それぞれに意味を持ち、それぞれに違う意味だから、違う言葉なので、コンパクトに出来ない場合も充分にあります。
それに状況依存(文脈依存)とも言いますが、特に日本語は難しくて、主語をハッキリさせない言語です。英語のようにSVOCとかはっきりは決められません。←これは私が国語学者でないので、詳しくないだけの説明です。どなたか国語の、とりわけ文法のプロフェッショナルさんがいらしたら、ご享受賜りたいです!
そういうわけで、話の前後から「汲む」んですね。そういう文化があるんです。なので、例えばメールを投げる時、研究室では返信でも転送でも、まるごと履歴を返信します。途中で操作が入っていないことを証明するためでもあります。
変な操作(ギミック)なく、文書を意図を忠実に伝える様に必要最小限で伝えるには、かなりのテクニックが要ります。
ちなみに、先生は19歳の頃、短歌を詠まれて、それが新聞に掲載されました。ですので、先生のメールは実にコンパクトです。過不足ないです。それでいて、それぞれの状況に対応できる意味を包含されています。そう、まるで短歌のような(実際にはそうでは無いですけれど^^;)メールです。
だから、研究も、その成果を記した論文も、「産みの苦しみ」に相当するのだと思います。命を削って研究する人もいます。本当に頭のいい人は、必要最小限の投資で、ある一定水準を保てるのだとすると、私は、頭が悪いので、命を削らないと研究出来ないのです。
そこで、研究する為にどうするか、というと、命を一生懸命に生きるしか術はありません。
なので、生きる力が不足している鬱状態ではどうにもならないのだと思います。
おそらく・・・・求めているものが、一般語でいうところの高い頂きみたいなところにあるんでしょうね。
私はそれを解っていなかったし、そうだと思ってもいませんでしたので、例えば貴女の言いたい事をコンパクトにするとこうなります!
と書いてもくれずに、ただ、「冗長だ」と言った医者は、あれ以来、診察に行っていません。
さ、また次の人へのコメントが入ったかも・・・読んで理解しなくちゃ。そうでないと先生とお話する言葉さえ見つからない。
ぶつぶつぶつ・・・こうなると雨の音、気にならない。
私には、こういう作業が必要なんです・・・私は学びと、それに携わる人に助けられて今に至っているのです。