平安神宮の北西に武道センターがあります。練習や大会が行われています。熊野神社の交差点あたりに来ると、なにやら催しがある場合は、古武道具を持ち、道着を召したみなさんがたくさんおいでです。
武道センターの脇には古武道具やさんがあります。そこに教えが書かれています。
『武』
の解釈が書かれています。「武」とは暴力でなく、暴力を止めるのが本義、だと。
引用元HP→http://moon.ap.teacup.com/fusenryu-ituwa/45.html
「武」は「戈」と「止」からなる会意文字であると説いているわけですね。
古き善きものが継がれている。
その教えに出逢う時、私は至福の歓びを感じます。
鼓舞したくなります。
雅楽は嗜んでいませんし、立派な事は出来ないので、元気になって家事が進んだり、
元気に散歩できるようになったり、あるいはちょっと勉学に勤しんで・・・
あーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!
数学書購入するの、忘れてた・・・書籍の入れ替えをしてしまうと生協スタッフの人が教えて下さってたのを忘れていた・・・(のを思い出した!^^;)
生協会員は学生の時に入りましたが、大学はそもそも地域の住民の皆様の憩いの場ですので、近隣住民であれば、加入資格があるんですね。
で、出資金をそのまま移行してもらって会員資格も移行してもらいました。なので、大学の物品を市価の2割引きで購入する事が出来ます。
5000円の書籍なら4000円!!これは有難いです!!これで本の世界に占有的に入れます。
手元に来てくれれば、いつでも好きな時に(重たいけど^^;)世界に没入できます。
その間は、家事とか全部思考の外に行っちゃって、入り込んでいるので、家が片付くのが遅くなります。
そのあたりは家族にごめんなさい、です(^^;)
武との関連ですが、数学知識や大学院での知識を私は研究室内の研究会や学会以外で口外したことがありません。
いつだったか、憧れの人に勘違いされて、まるでひけらかしているかのように捉えられて、大変傷つきました。
けれども、もしかして、その様子が醸し出されていたのだとしたら、それは不徳の致すところなので、
また自分を戒めたいと思っています。
購入した書籍の内容は著作権がありますので、ブログには勿論公開しません。別にしてもいいですし、
探したらフリーで同じ解法について記しているものがあるのかもしれませんが、
やはり数理研究所の人、あるいは入所を希望して、平素勤勉である数理の若い学生が、もしかしたら同じく手にするかもしれない、という部分に投資するのです。
なので、京都大学の今出川キャンパスの生協書店に陳列されている書籍を求めます。
京都大学は吉田にあるだけでも本学と医学部と薬学部と南と西に生協もあります。
ですが、それぞれにやはり特色があって、品ぞろえが全く違うんですね。十人十色みたいに。
なので、必要とあらば、国立国会図書館でも、東京大学の図書館でも、利用出来るのなら、限りなくそれを履行して、
求める書籍に出逢いに行きます。もしかしたら、交通費や手間の方がかかるかもしれない。
それでも、求めます。
けれど、それをひとさまに求めたことはありません。
「武」は「戈」と「止」からなる会意文字であると説く概念を取り入れさせていただいています。
ましてや文化的性差においては、それを誇示すると、女性の場合特に、鼻持ちならない人ということで、敵を多くはからずとも作ってしまいますから、そんな事はするはずもありません。
それをご理解賜れなかったという意味では(その方は異性ですが)、とても悲しく思いました。
あれだけお話したのに、齟齬の割合が余りにも閾値を超えて多い場合、悲しくなりますよね。
なんの説く(あるいは徳)にもならないことは・・・徒労に終わっても別段それから学ぶことがあれば、なんら問題ありませんし気にしません。
けれど、私はかなり長く、具体的には30年くらいは、様子を見る事がありますが、それを以てしても、
学ぶことが無いな・・・と判断した場合は、そこから去ります。
学びを求めて。
京都は長く都があり、乱世でした。災害にも多く見舞われました。それ故、先人たちの智慧が、叡智が、
多く根付いているまちだと拝察しました。
生きて行く以上、好き好んで敵を作る必要がないのです。そのための所作が生活にも息づいています。
そこに、まだ10年しか住ませてはいただてはいませんが、それを否定されると、この10年が無かったことにされたようで、
10年一切学んでいなかったことにされた気がして、本当にそれは辛いことでした。
それほどに、見下されていたのだと思うと、悲しいのです。
私はその人を、他人を見下す人だとは思っていなかったからです。
本人もそんなことしないし、する人間は軽蔑する、と言いながら、その実されていた。つまり、
自覚がおありにならなかった・・・それが悲しいのです。
人は戈盾が多くありますが、それにしても話にならないくらい酷かった・・・という事でしょうか。
I dreamed a dream.
だったのかもしれません・・・全く以て、赤子ですね。私は。
世の中というものが、解っていなかったのだと思います。
ただ反省の毎日。
それらの連続が、学びに繋がってくれたらいいのですけれど。
最近は「継」や「系」の周辺が気になっています。
継承と伝承、あるいは直系と傍系、です。
歴史も文字もその他もろもろ男性のみに与えられたものでした。
常に女性は傍系で、継ぐなんて出来なかったのではないかと。
今でも官僚や大学教授も4%です。世界的に見てとても先進国とは思えない数値。
それでもこの数値が日本には向いているのなら、
女性はどう生きればいいのでしょう。
そんな事を考えたりしました。