お昼の間、どうにか無理がききます。
でも夕方になると何だか具合が悪くなって、
頓服飲むんだけど悪夢ばっかりで、
夜中にパニックで起きちゃって、
胸は痛いし息苦しいし、
何より恐怖で錯乱気味。
独りは嫌なの。
いっぱい叱られたり殴られたりしてきた。
殆ど先入観による勘違いか責任転嫁か捌け口。
やっとやっと何十年かけて、
フラッシュバックがおさまってきたのに。
凄い勢いで心に入ってきて、
凄い勢いで生息活動して、
凄い勢いで立ち去ったら、
残った側は大震災の後の瓦礫がたくさんで、
どこから手をつけていいか、
解らない状態だよ…。
人的被害はダメって言った当人が、
人的被害を及ぼしちゃもっとダメだよ。
途方に暮れるしか出来なくて、
にわかにフラッシュバック。
また何十年もかかるのかなぁ…。
相変わらず神様はスパルタ。
少し前に協会に言ったの。
初めては興味津々。
二回目は内的な信者の群れと力関係、そして、
旧約と新訳の矛盾を見抜いてしまった。
とても昔に誰かが遺すように言ったのなら、
壮大なそれこそ神話だし、
その時代にこれほどの事を創造したとしたら素晴らしい。
けれど私にはトリッキーに感じた。
肝心なところで誤魔化されている気がした。
もしかしたら訳者の語彙の問題かもしれない。
原語を読めない事には話にならない。
そういう意味ではまだ禅の考え方の方が矛盾があったとしても気にしないように出来る範囲。
私が東洋人だからだろうか。
そんな事を考えていたら少しは身体が楽になるし、
心も楽になる。
考える事、掘り下げる事は体力が要るから、
少しの間しか楽にならないけどね。
それでも随分助かる。
身体が回復するにつれ、忘れがちな人様からみたら小さい幸せでも、
私にはとても壮大だから、
そういう意味ではすんなり短期で治るんじゃなく、
これだけ長期で複雑な方が、
また壮大な感謝が再来して、
実は幸せなのかもしれない。
子ども達に否応なしに見られちゃうから、
それはどうしたもんかと思うけど、
どうにもならないので、
彼らのキャパビリティを、
信用するしか無いよね。
それにしても私が厳しくもって行かれた速度や完璧さがスーパーカーのトップギアだった事が更に解った。
私は辛すぎたから子どもには求めないできた。
ただ元気で暮らしてくれたら…
でも社会は違うんですね。
『こっちも商売でやってるんですから』と広義の教育に関わっている人が最近逆ギレして言うから、
やっぱり怖い。
自己弁護能力には長けてるけど、
人へは優しくない。
愛が無い。
愛にも形があるとするならば、人の数だけある。
押し付けられても、お受けする必要は、
もう無いとおもっておきます。