一生懸命だっただけ。
でもそれは、私が娘をかつての私にしてしまって、
娘を理解しようとする事によって、
幼き頃に内的に孤立していた自分を投影して、
助けたかっただけなんだと思う。
歪んだ形の保身。
私が必死に人をおもいやったつもりが、
自分にしがみついてた事だったなんて。
半年くらい前に、
私は人生で最も大切だと思っていた人から、
時空間の距離をあけられました。
素朴なその人はその人なりに誠意ある言葉をくれたのだけれど、
私は離れる事を受け入れられなくて、
おそらく錯乱した。
私ね、生後1ヶ月くらいの時にね、
両親が救急搬送されてね、
母方の叔母が遠路はるばる駆けつけてくれるまでね、
放置されてたの。
当時、黒電話あったのかなあ。
叔母はどうやって来てくれたのかなあ。
あのまま両親に何かあったら私はどうなっていたんだろう。
それでもやっぱり後にね、自分達がどれだけ大変だったかだけを話す両親にね、
仕方ない事とは言えど、その話の度に傷ついてた。
両親はいつも一緒。
私は物理的にも放置され、
精神的にはずっと孤立した。
生後1ヶ月で。
だからだろうか、たとえ事実であっても、
知らない方が相手が傷つかない事を知っていて、
言葉を獲得出来なかったと思われたくらい寡黙だったのは。
勉強が出来て語彙が増え、
感想文や論文を書いて賞賛されたら、
もっと事実を詳細に書く人間に、
…成り下がってしまった。
勉強が出来る事は、
出来るようになる事は、
決して幸せなんかじゃない。
その証拠に孤立して…
ここからはたぶん社会的には書いちゃイケナイ事だよね。
ほらね、結局、吐けない。
行き場を喪ったこれまでの一生懸命という生きる力。
娘はすぐ錯乱して発するけど、
私は物心ついた時から、
ずっと考えていたよ。
命って何だろう、
生きるってどうする事なんだろう、
ってね。
そうして先人達も、
運命に翻弄されてたんだ。
後から美談にされても、
生きているうちに認められなかったのって、
幸せだったんだろうか。
父が亡くなって生い立ちを更に聞いて思った。
幸せでしたか?って。
肉体と引き換えに立ち昇っていく煙を見つめながら、
悲しいとか淋しいとかじゃなく、
ただただそう思った。
お父さん、幸せでしたか?
そうして改めて謝りたい。
学問の一応の達成が、
間に合わなくてごめんなさい、
…と。
私は父を理解出来ていなかったと思う。
父の孤独と淋しさを、
それでも人に尽くす慈愛を、
理解出来ていなかったと思う。
至らなくて、至らなくて、
至らなくて、
…ごめんなさい。
きっと私の人生は、
至らなくてごめんなさい、
の人生だと思う。
私はホント、馬鹿だ

娘の気持ちも、息子の気持ちも、
どれだけ考えても…
生きてていいのかな…
生まれてきて良かったのかな…
私は。
みなさん、
ごめんなさい
