母方のおじいちゃんのことです。
父方のおじいちゃんとおばあちゃんは、
父自身が幼いときに亡くなったので、
おじいちゃんといえば母方のおじいちゃんです。
おじいちゃんは次男さんだそうです。
兵隊にいい条件で入隊すると白いお米が貰えたからだったかもしれませんね。
母は昔から勝ち気で人より良いものを欲しがる癖があったようです。
というよりも、おそらく引き揚げたおじいちゃんが、
恒常的に仕事をするのは難しかったようで、
向上心の高い母は、高校すら交通費のかからないところにし、
進学校ではなかったので大学進学を諦めざるを得なかった様なんです。
…と、これは母の目線。
『借金(奨学金)してまで学校に行くな。』とだけ、
おじいちゃんは言ったそうです。
私は両親や父方の伯母達に聴いていたイメージが先行してた気がします。
今の私の立場なら、娘が母の様だった昨年度のままだった場合、
おじいちゃんと同じ事を言って、
諫めるというか、諭したと思います。
おじいちゃんは実直な人でした。
冗談のセンスは皆無で、私は怖いとしか思わなかった。
おじいちゃんは父が亡くなる前の年に亡くなったので、
長生きな方だったと思います。けれど、
もしかしたら私が私の感性で気付くより先に、
周りからイメージングされていたかもしれない。
おじいちゃんの事を生きている間、
少しも解らなかったし、解ろうとしなかったかもしれない、と、
ふ、と、昨日今日思った次第です。
仕方無い事とは言え、やがて父が収入を得るようになり、
親を安心させる条件になったのだろうけれど、
同時にそれは比較してしまった時に母にとって、
もしかしたらおじいちゃんにとって、
辛い現実であったのかもしれない、と、
そう思ったりします。
人は老いる。
老いるんです。
私こそそれを、
受け容れられなかったのかもしれない。
そしてそれは嫉妬という形で現れたかもしれません。
若い頃からもう、自分の着るものは自分でどうにかするしかなくて、
大学の同級生からはブランド物を持っていない事を不思議がられました。
高校の同級生も二浪して早稲田行って、そのままニューヨーク大学に行って、
アメリカで永くすんでるけど、
彼女も早稲田に入ってすぐ、この洗礼を頂戴したのだとか。
そういう意味では、
私は恵まれていなくて良かったと、
神様が試練を物心ついた時からずっとプレゼントしてきてくれて、
素直に良かったと思っています。
今夜も子ども達の寝息が聴こえます。
この健やかな時間が無かった日々が永くあったからこそ、
気付けるんだと思います。
だから私は子どもが健やかかつ安心な眠りを、
もたらすお手伝いがしたいんです。
皆さんも誰かの子ども。
おじいちゃんも。
おばあちゃんも。
おじさんも。
おばさんも。
みぃ~んな、誰かの子ども。
皆さんが健やかで在りますよう。
いつも余裕がなくて、ブログがささくれていて、
ごめんなさい。
言い訳になっちゃうと思うけど事実だから。
私には普通は手の届かなかった事なので。
だから屈折してるんです。
だから、ある人が駄洒落で私を呼んだ名前だけど、
確かに、よこしま☆な部分があるのかもしれない、
そう自分を戒めよう、という意味も込めて、
このハンドルネームを使わせて貰っています。
夜中のひとりごと…。
(ふあん な よる なのかもね)