よこしま☆ちゃんの周りには、結構強引な方がいます。・・・違うな。いました☆
うん、これが今の状況に則したという意味で正しい表現かも

親戚の伯母もそうだし母親もそう。知人にもそういう人いました・・・あ、また違う(^▽^;)
まだ皆さん御存命だから、えっと・・・関わらせていただいていました?・・・かな☆
で、どうしてだか、未だに解らないんですけれど、いきなり、
『~しなさいよ!』とか『どうして~しないの!?』っていう言い方を平気でするんですね・・・
あれ、どうして?
個人個人に、価値観があって、それぞれ違う事が前提なら、相手にとっては必要が無かったからしていないだけの事なのに。
あの価値観の強引な押し付け、超☆苦手

「・・・・へ?」とかなっているうちに巻き込まれて、で、よく考えたら、何かをして欲しいのね、自分の理想に近い状態に。
その為に捕まったんだなぁ~・・・って解って、「ええええっ☆そんなの自分の理想なんだから自分ですればいいじゃん!」って思うよね(^▽^;)
私ね、精神的に自律(自立)していない人、超苦手。あ、また違った・・・えっとぉ~・・・
単に精神的に自律や自立が未だでもいいの、自覚があれば。
で、自覚していなくて、依存している事にも気付いていない。自分で決められない。←著しくね。
で、決められないのはどうしてか、っていうと、人によく思われたい気持ちが強く在って、意見の違う周りの全てに応えようとしている自覚もないもんだから、
パニック起こして『決められない・・・』が何だか怒っている状態に映って、その時に使う典型的なフレーズが、
『~しなさいよ!』とか『どうして~しないの!?』なんだね~・・・。
知らないよ、そんなの(笑)
自分が思いついたんだから、誰かを説得する技に長けるようになるか、向こうから来てもらえるように魅力をアップするか、
いずれにしても楽してそんな事はあり得ないよね。
楽しめるまで努力する。つまり努力してある程度まで到達しないと遊べないんだよ。
それを、いきなり楽して遊ぶもんだから、出来なくなって、人に依存して迎合して生きる事になる。
自分が夢中になる何かを見つければいいじゃん!人からどう言われるものであっても迷惑かけないなら問題無いじゃん!
だけど、淋しいんだね、そういう人。不器用っていうのかな、ん~・・・どういう言葉が適切に状況を表現しているんだろう・・・
ムズカシイね。
とにもかくにも、私は周辺から入るので、つまりは雰囲気を掴めるまで動かない、とか、様子をうかがうとか、顔色を見るとかね、するよ。
顔色を見る、って書くと、あまりいいイメージ持たれないかもしれないなあ、って思ってた。
私がそうだったから。だけど、顔色をうかがうって大切だと思うな。
敢えて言わない事や、言えない事がある時に、表情や声のトーンや所作から事情を酌まないと、
相手に言わせる所までもっていっちゃ、相手のお顔が潰れるんだし。
そういう意味では伯母も母も、人の顔なんて概念無いから、平気でぶっ潰すのね(^▽^;)
あの人達、外で働いていなくてよかったと思う。そうじゃないと、今時ハラスメントで、言われかねないよ。
あっぶなっかしい人達だなあ・・・ってカンジ。
それが研究止まって、子どもが壮絶ないじめに遭って、教育機関が機能不全で、医療機関も医師は診察室の中でだけしか判断できないから、孤軍奮闘してたわけ。
そうするとやっぱり違う意味でも激務だから、鬱病にくらいなるよね?
そんな最中に、従兄が旅立ちゃったり、友達も乳がんで他界しちゃうし、師匠の師匠なんて、今でもちょっと口にできないくらいショックだけど(業界的に世界が、彼らをもってしても、5年は落ち付かなかったです・・・)午前はお元気だったのに、午後には旅立たれていたりね。
サヨナラも言う時間も与えられずの突然のお別れが余りにも余りにも余りにも重なって。
だからね、生きているうちにどうして仲良くできないのか、仲良くする努力を惜しむのか、どうしても解せないのね、私。
自分を保つためだとしても、相手を陥れるような辛い言葉を発する人は辟易しちゃう。
無言でもいいし、発するなら違う言葉が、これだけ数多の言葉があるんだから、あるでしょう?
って、そんな言葉をいつまでも身につけてしまわれている事実が悲しいの。とっても。
だから精神的(心理的)に距離を置くの。
エクスキューズした行為だって、あるらしい。昨日、教授のお部屋のお手伝いしているときに、
先生はサラッと言われた。
平成の、この時代に、先生は国から、数多の人から、理想を求められて、研究費を宛がわれて、
有無を言わさず人生を走り続けてお出でです。還暦を過ぎても。
苦労を嘆く暇もなく。
共にした師匠が突然の事になった時も、悲しむ間もなく、その研究室に入って、残り17日しかなかった中、
残務処理をし、大先生の研究室は、無事に終息を迎えました。そういう事をする先生です。
大先生も、研究では完膚なきまでに先生を追い詰めたらしいですが、誕生日には、学会を抜けて、
たった5分の御祝いのために、往復飛行機を使ってサプライズして。
家に帰られてもご家族にとっても愛情を注がれて。
人生ずっと睡眠不足でいらしたんじゃないかな・・・。
だから、そんな先生達を、十羽ひとからげに、ちょっと自分の言う事をきいてもらえなかったからといって、
「何よ、ちょっと京大に行ってるからっていって!」って、言えるその失礼さに身震いしています。
けれど・・・無学な母に、それを求めても仕方ないから。
だから、プライドのとっても高い母には、喧嘩ごしじゃなくて、お願いします、ごめんなさい、のアプローチで、
謹んでご辞退申し上げるんです。
親戚じゅうのお嬢様、ですからね。うちの美代子さんは。
『色無地に袋帯が合ってる事も知らないの?』と、勉強ばっかりだった娘に言い、
『その歳で歌わないでどうするの?』と、子育て真っ最中の娘に言い、
・・・もう、これ以上は止めます。
あれだけ仕事が出来た、今は亡き父が、相手をするのは根を上げたくらいですから。
一見、清楚で大人しそうですが、何とも気の強い、勝気な人です。
そうなるべくして、そうなったんでしょうけれどね。
あの歳で元気にしてくれているんだから、有難い事ですけれどね。
身体は楽ですが、神経が参ります。
京都に来て、10年がたとうとしています。
ようやく、そうっとしておいてくれるようになりつつあります。
過干渉はきついです。束縛にもなり得ますし。
私は・・・母の人形じゃないですから。
もちろん子ども達のそれでもありません。
私は私です。
生きている間に、私は、私を取り戻したい、そう思ったりしました。
よい午後を。