喧嘩の内容より、
その時使う言葉がよりによってそんな言葉なんだ、っていう事や、
声の大きさや、
態度(表情や出した音)が、
私には全部威嚇になってしまうんです。
意見が違っても、
伝え方や選ぶコトノハがあるはず、
と私は心から信じている。
追い詰められた状態であるからこそ、
転化(転嫁じゃないですよ!)があると、
必ずあると、
そう思っています。
私は…
親からも経済的精神的肉体的苦痛を強いられて育った子どもです。
親戚にもされてきました。
友達と思っていた人にも、
パートナーにも、
その身内や親戚にも、
学校の先生にも、
そういう事を数多くされてきました。
とかく比較し上下関係を作り、
何をしてでも自分がその上に立ちたいと強く願う人が私の周りには、
余りにも多かった。
何か頑張れば足を救う、
意地悪をする。
人はどうしてこうなんだろう、
という事実にとても立ち上がれないほど、
うちひしがれるんです。
もう物心ついた時から。
だから私は早くして周りに心を閉ざしました。
親戚には男性が多かった。
それを自慢し女性を未だ何もしないうちから軽ろんじた。
だから私は誰よりも誰よりも、
その嫉妬が届かないくらい、
秀でてやろうと思った。
ちょっとやそっとじゃびくともしない人間に、
名実ともになりたかった。
大学院入り直してからは、
それらが全く消えた。
純粋に学問が楽しかった。
この歳でそうしたからこそ、
深さも解りました。
けれども世界をフィールドにし、
そこでも新規性を大切にする大学院では、
無理となっていたから倒れてしまった。
具体的にはかつての周りのような人が止めた。
自分よりは秀でるな、という人は、
学術界にもしっかり存在した。
けれど、それで解った事もいっぱいあった。
少しは不自由な体をもつひとの情けなさや歯痒さが解った気がした。
そうしてやっと久しぶりに話をした母。
話しているうちに意見が相違した。
もう別の人生を歩いて久しい。別段不思議では無い。
異論を唱えたのは私だ。
何故なら辛かったからだ。
母は迎合を求める。意見を押し付ける。私にはとうに自我があったのに。
自分は合わせてもらいたいけど合わせられない。だから、
娘にも強迫的になる。そうして親にはいつまでもどんな時も迎合するのが当然だと思っている。
もううんざりだった。
物心ついたとしても40年以上ずっと強迫的。
だから一言、たった一言、
『必ずしもそうとは限らない』とだけ伝えた。
すると、
「なんやのよ


愕然とした。
京大に進学するさい、一切事実ときて世話になってはいない。
未知なる険しい厳しい道。
いつどうなるかも解らない。
子ども達を預かってやるから思う存分やりなさい、という親ではなく、
なにか小さい事があったら大騒ぎし、
相手がどれだけ忙しくとも丸ごと応援しに駆け付けないと、
一生本気でねにもつややこしい人だ。
母はいつからそんな気質になったのだろう。
いつだったか「もう改善しないかもしれないな」って思った。
けれど実際そうだとまたショックなものである。
兎に角、進学した事は、伏せて欲しい、
要らぬ憶測がまた行く手を阻む可能性がある事を、
さすがに経験則で知っていたからだ。
けれど、彼岸に墓参りに行く際、
ご近所がご存知だった。
娘や孫をとことん守ってはくれない人。
そうして、いま息子がそれをしてしまった。
娘もそうだったが、
思春期でも反発でも構わない。
ただ、そんな荒々しい方法しか、
思い浮かばないのですか?
と悲しいのである。
息子が大変だったのでかけつけたが、
私は本来もっと特徴の強い発達障害の気質を持ちます。
だからこそ血の滲むような努力をして来ました。
いちいち誇示したらいやらしいので謙遜していただけです。
日本人の美徳だし私のプライドです。
母は私が何か苦しいとようやく遠慮がちに呟いても、
「私の方が大変だった」と言ってとりつく島を与えてくれなかった人。
去年の娘の事も娘の心のケアより、
「私はなんて可哀想なんや。なんでこんな苦労しなあかんの。」と、
取り乱してしまった。
辟易して冷静になれた。そういう意味では感謝する。
そうして今、私がフリーズ。
心をこうしないともたない。
それを一生に生活しながらも、
あれだけ一緒にいても、
息子は実践出来ない事が解った。
別にそれは構わないとしよう。
ではせめてせめて、
黙ってそうっとしておいてくれ。
いま君がしゃばりまくっている事は総て、
「言い訳」っていうんだよ。
そんな事しなくても解っているさ。
違うよ、そんな事じゃない。
どんな理由であれ、
自分がした事で相手が傷ついたなら、
傷が生々しいんだから、
それでフリーズしてまでの傷なんだから、
その様子から、
今は言い訳さえ言える状態でない事を、
それだけは人の心に寄り添う事なので、
待った無しに出来ないとイケナイんだよ。
積極的に密になる事だけがコミュニケーションじゃない、
配慮して適切な距離をとり、
傷ついた側をそうっとしておく事だって、
立派なコミュニケーションなんだよ。
君はこれからを生きる人。
私に何かがあっても。
だからこそ無言で静かに厳しく教える。
最早、私より大きく逞しくなった君だからこそ、
いま伝える。
いま解るんだ。
これには待ったなし。
容赦しない。
責任のある事だからね。