この動画、知らなかったです。
てっきり東方神起のアカペラかと思って・・・。
心が打ち震えました。
私は・・・いつまでハンディキャップに嘆いているんだろう。
自分がとても恥ずかしく小さく思えました。
実は今日も前に進めない事がありました。
自治会の事でした。
隣の今年度、長をして下さっているオジサンに吐露しました。
『病気は恥ずかしい事じゃ無い。周りで何とかしてみるから。』
と言ってくれました。
病気に逃げているのかなあ・・・って思いました。けれど、
三半規管がうまく機能しないのも事実だし・・・。
起きても静かに過ごすか、突っ伏しているか・・・。
どうして、この画像に、この歌に、この少女に、このコラボレーションに、
心打ち震えたんだろう・・・。
理由は解らない。
ただ美しいと思った。
みんなで少女を見守り、その中で彼女は精一杯生きている。
その様子に心が震えたんだと思う。
私は・・・偏見が怖かった。
怖かったんです。
大学の名前も伏せてた。別の意味の誤解という偏見が怖かった。
本名も伏せてる。
全て偏見が怖かったからです。
障がいや病気と共に生きる事は、恥ずかしい事じゃ無い。
それをちゃんと胸を張って言ってくれて行動してくれる人より、
これまでは、そうじゃない人の方が多かった。
事実、今日、スーパーで、小学校の時の娘の同級生の御母さんに暫くぶりにお逢いした。
「あれでしょ?お嬢さん・・・ちゃんと、あの、その・・・」って。
言いたい事は解った。
卑下していらした。
だから正直に御話した。
「命があるのが奇跡な状態なので、卒業もようやく認定を頂戴した。
そこまでですよ。」と。
息子の小学校の高学年の時の不登校も、そんな噂が立っていたらしい。
『あそこは小学校を休ませて家庭教師をつけて私学の受験に備えている』と。
・・・バカらしい。
けれど、今日もそういう憶測での発言だった。
関西でも特色があって、大阪や奈良、滋賀などは昔から公立高校がいいので、
中学で何がなんでも私学に受験、とは思っていない割合が多いです。
けれど、京都に来てしったのですが、兵庫県も、公立の治安の問題なのか、親の勘違いなのか、
中学から私学に進ませます。
娘は3人仲間でした。他ひとりは御医者様の御家系。早々と有名私学に進学しました。
今日御声をかけていただいたところのお嬢さんも、ついていかねばと思ったのか、私学に行かれました。
今時めずらしく5にんきょうだいの末っ子さんのようで、
御父様はもう定年なさっています。とても無理したんじゃないでしょうか。
御医者様の御家系のお嬢さん、医学部への進学は厳しかったようです。
幼少の頃から、お母様がそれはそれは熱心に進学塾に通わせておいででした。
当時、競争率が高かったのだそうです。ということは不合格になった子どもが多かった、
と言う事。12歳やそこらで人生の挫折を味わったのです。
その心のケアが実は大変なんだと、そのお嬢さんを通じて塾の先生の言葉を知りました。
育児は母親に任せられやすく、子どもの成績がまるで御母さんの成績のように思ってしまって、
それ故、子どもの進学問題で必死になる御母さんがたくさんおいでなのだとか。
私は、奈良女子大学で、そういう事に成り易いから、
家庭を運営する際にも、子どもの発達心理を考えても、要注意、と教育を受けました。
家族構造や、その機能を、根底から見直す機会に恵まれました。
全部が全部そうだとは言いませんが、やはり風評というか、
ステレオタイプに強く影響を受けるお母様がたは多いようです。
それぞれのご家庭の方針とかがおありなので口出しできませんが、
子どもが疲弊しているのを、私の過去もそうですが、嫌と言うほど見て来たので、
私は子ども達には、偏差値の高い処にやみくもに行きなさいとは一切言っていません。
ただ、勉強は楽しいので、それには気付いて欲しいとは言っていました。
物を多面的に見れるようになれる、素敵なツールです。
それで人ともコミュニケーションが取れます。
でもこの事と、教育産業と強く関わる事とは別の軸です。
その御医者さまの御家系のお嬢さんは塾でも医学部進学系のそれで、
お教室でも一切休み時間に話しする事はなかったようです。
そりゃそうですよね。医学部受験するライバルなんですから。
私は同期と争わなければならない状況になって自ら降りました。
そんなために、研究や勉学があるわけじゃないと強く思ったからです。
障碍があると途端にスタートラインにもたてない土壌から、
とっとと降りました。
だからこそ、この動画に、心が震えたんだと思います。
学びは、人と人とを分断するツールじゃない。
少なくともそう使うもんじゃない。
私はそう考えています。
ね、怖いでしょ。
知らない所でとんでもない策士なお母さんにされていたんですね。
愕然。けれども同時に毅然として申し上げましたよ。
何勝手に決めているの!ってね。
だから、娘のことも、堂々と言いましたよ。
恥ずかしい事じゃないもん。
勝手に決めつける人に追い詰められたからこうなったんだから。
説明して、当たり前が当たり前じゃない事に気付いてもらえれば、
それでいいんだし。
阪神淡路大震災の時の子。
娘が歳を重ねるたびに、その数字はあれからの人間時間。
けれど、実情、止まったままの心である人がまだまだいることも、
忘れちゃイケナイと思う日でもあります。
そう、今日のように。