別に隠していた訳じゃないけど。

かなりのファンでしたね~。

彼は広島県福山市の出身。大阪芸大の時にデビューしました。

ご両親は先生をされておられて、かなり厳格な御父様に育てられたそうです。

ファンの間では有名ですけれどね。勉強しないなら、文房具を粗末にするなら、と、

当時団地に住んでおられて、窓からランドセルごと捨てられて、

泣きながら拾いに行ったというエピソードを話されていた事があります。

世良さんも、素敵に歳を重ねられて、私も長く関われる余裕が無いので憶測ですけれど、

おそらく御父様の事があって、涙をにじませて偲んでおられました。

若くて反発して飛び出して。苦労のしわ寄せが親に行って。

それでも厳しくも裏では応援してくれていた事、今、彼も随分と成長されたお子さんの親と成り、

想いを馳せる事があるのだと、拝察しています。

当時は、私には随分とお兄ちゃんだったので、そのまま言葉を追って世界観に届きたくて一生懸命考えました。

おそらく、当時の年長者のみなさまからすると、荒削りで、粗暴なロックで。

それでも魂で叫んでた。彼なりに気持ちを考えながら。

広島の原爆の日のライブにも歌った曲です。リリースされた当時は、そんな背景を知る事もなく、

ただ、魂の叫びに、形は荒削りかもしれないけれど、認知されていないロックかもしれないけれど、

やっぱりその向こうの魂という形をしている気持ちというか世界観に、

どっぷり浸かって自分を癒して貰っていました。

いろんな意味で小さい自分が情けなくて歯がゆくて。

到底敵わないのは知っている。知っているけどもがきたい。もがきたいけどうまくいかない。

優等生はどこかしら偽善のような気もして嫌だ。

生れ育った環境に対するイメージで自分を決められるのも嫌だ。

抗って抗って。だけどそれは人を愛しているから愛して欲しくて。

そうして、もんどりうった、心の叫び。

文学作品のようには決して流暢でない、そんなやんちゃな御兄ちゃんに、

熱いそれを感じて、慕って聴いていました。

70年代の後半はそんな時代だったように思います。

小学生だよ^^;

おませさんだったね。父がたくさんのきょうだいの末っ子だったから、

従兄が全部すんごい年上で。父と一番上の伯母ちゃんがそもそも20歳以上離れていたんだから、

父親より年上の従兄がいたりして。

おませになるべくしておませになった環境でした^^;

不仲だった両親も、音楽の話題だけは、テレビを囲って、チャンネルのダイヤルがうまく合わなくて、

ガチャガチャの間で止めるという神業をしないと周波数拾えなくて^^;

寺内貫太郎一家みたいな家。本気で暴れて本気で怪我して。

・・・とてもじゃないけど、セレブリティな家族とは程遠い^^;

そんな庶民も庶民。どちらかというと、お金持ちには成った事のない、駄菓子には詳しいよこしま☆ちゃんの、

そんな若かりし頃の一面でした。

だから大学のイメージで私を見るのは到底止めて欲しいんだ。

不器用にしか生きられない。

震災の支援だって、どうしていいか解らないし、奨学金だって借金なのに、

それを使って盛岡何度もいっちゃうし。

ホント、バカだよね・・・。

でも、やっぱり放っておけないんだ。

形は違うけど、DVで離婚して、実家や親せきや友達に迷惑かけられなくて、

別のところに身をひそめて、食べるものも着るものも、何も無い処から、

始まった、今の母子3人。

だから、母子家庭に対してだとか、貧乏にたいしてだとか、病気や障害に対してだとか、

特別な目で見ないで欲しい。

腫れものに障るみたいにはしないでほしい。あるいは疎外しないでほしい。

どうして、どうして、極端にしか、してくれないの???

ずっと、ずっと、ずっと・・・思っていた事。

「何なんだ!?これって・・・」ってずっと思っている事。

それでも解らなくて、また自分の頭の悪さを責めて、

泣いて泣いて聴いていた曲でもあります。

荒削りながら、励ましてくれた曲。

今日の日に。なぜか、思い出しました。

関西だから? ・・・だから?

だから、何!!!

理由をいっぱいつけて、理由をいっぱいつけて・・・

だから、何!!!

命を大切に想う気持ちは一緒なのに!!!!

そんな事を想っています。

あの時間に見た、先生の画面。東北沖、速報レベルでM8!!!

神様に、『この野郎!!!!』って思いました。告白します。

少し前にM7があって、それで津波を心配して、それほどでも無かったから、

あれが本震だと思ったし、思いたかった。

だから、『何もそこまですることないでしょう????』って画面見て思った。

ちょっとした理系ならエネルギーが数値から解る。

都市直下型のM7の神戸であれだった。

Mは1あがると1000倍と思ってもいい。理系なら即時推測できる。

何もできない自然の力に私は憤りを感じた。

『私たちが何をしたっていうんだ!!!!』って心で叫んだ。

担当医が「診察を終わります。(これから緊急対策会議です。)」と言った意味と大きさを、

その画面から読みとった。

あの瞬間から、正直、私の中での時間は止まってる。

何もかも変わってしまった。

だけど、周りがしっかりしないと!というのも解ってる。

だからこそ、呑気に今日を生きる自分の親や子どもさえ腹立たしい。

だけど何かをすれば虐待とか言われる可能性がある。

学校に簡単な質問をすればモンスターなんとかと言われる可能性がある。

みんな、みんな、傷ついた。いろんな形で。

だから・・・時間がまだまだ欲しい。

今の世良さんなら、この時の想いを、どう歌うだろう・・・。

どう歌うだろう・・・。

そんな事を考えたりしながら、今日もキツイ体を動かして家事をする。

生きるって・・・なんだろう・・・。

命って・・・なんだろう・・・。

なんだろう・・・。

動画・・・アップしてよかったんだろうか・・・。

ブログというツールで吐露することが果たしていいのだろうか・・・。

想いを忍ばせて黙っている事がいい時もあるような気がする。

言葉ってなんだろう・・・。

想いってなんだろう・・・。

なんだろう・・・。

わからなくなったから、

いったんいなくなります。

ごめんなさい。

やっぱりわたしはあやまっていきていきたいなあ・・・。

きっと、粗相ばかりだもの。