コメントやメッセージ、ありがとうございます。
とても嬉しいです♪
わたし…肩肘張って構えていたんだと思います(笑)
子ども達をひとりで育て上げる自信があって、
離婚したんじゃなかった。
女性問題も暴力もお金の問題も姻族の問題もありました。
知らない土地に行き…
それくらい皆さん孤軍奮闘していると思いますが、
家族に助けを求めても無視され続けていた事が私を意固地にさせました。
母は野球の審判の有名な話じゃないけれど、自分の考える事こそがルールの人でした。
異論とまで至らなくても寸分違えば敵のようにみなし、
高度経済成長の後に生まれた私にも、
気に入らない所があればご飯はないし、
弟が自分に似ていると思い込み依怙贔屓はするし、
とにかく知らぬ存ぜぬな人でした。
けれど気づいてみれば、母と似た生き方をしています。
そう、気づかなかった…
いつも競争相手に巻き込まれて逃げられなくて。
誰が性格がどうであれ愛する親と敵対したいですか?
父方は早くに祖父母が亡くなって、きょうだいで育って。
確かに何処かの学校に通う、という意味では無学かもしれないけれど、
親がいないことで差別され経済が大変なことで差別され父を除くきょうだいが皆女性であることで差別されたからこそ、
辛い境遇にある人を直感しお節介かもしれないけど命を心を救う人達です。
その父も世にでる時、当時は就職差別がありました。
働いても独学だし奇抜な、つまり画期的過ぎる発想をしたため、
社長には気に入られましたがその分周りからは疎まれました。
それでも家族を食べさせるために最期まで成人用オムツをしてまで出社しようとするもんだから、
流石に周りが途中で倒れられては責任が取れないと早期退社を余儀なくされました。
もう余り長くないと直感していた父は生家を若くして未亡人となった伯母に譲ったため、そして、
苦労をかけた気位が高すぎて誰かの下では働けない母のために40代後半で家を建てました。
折しも時代はバブルに差し掛かろうとしていました。
サラリーマンには高額な家でした。弟と親子ローンをしたかったようですが、
母に似ている事にされていた弟とは仲が悪く、期待になんて沿ってやるものか、と定職にもつかず、
結局早期退社の退職金で短期間で完済しました。
サラリーマンなのに確定申告を手伝った事があります。
手伝ったというより両親は老眼が進んでいたり数式アレルギーがあったので、
(母は算盤は有能だけど、数学は不出来らしい。)
結局私がひとりで書類を書いて父に持たせました。
もちろん両親の役に立てて嬉しくて領収書がいい加減な父に小言を言いながらも完遂しました。達成感と少し大人になれた気がして嬉しかったのを覚えています。
母はオールマイティーに、しかも深く出来るスーパーマンが好きで、
何なら自分が一番そうなりたい人だったのかもしれません。
父は確定申告を助けて欲しい、と、普段音沙汰が無いのに前日になって、よくわからない領収書とともに突然帰宅して、一晩でやって欲しいと言い出す人でした。
普段からコツコツしていない勤勉に映らない父を母は嫌悪していました。
私にすれば父だって沽券があって、前日になるまで、頼めなかったんだろうなあ、と思いました。
そりゃ、若い頃は憎みました。就職して大喧嘩して本当に家を出ました。両親には言ってないけど、あんな家は一日も早く出たかった。
だけど色んな苦労が絶えない喧嘩も絶えない、いつ離婚してもおかしくない両親が唯一共通して喜ぶ事は成績の良くなる事だったし、万が一このまま両親が離婚しても、
労働基準法で多少は給料が取れて生家に帰れない(昔の価値観は離別に対しても死別と違って差別があって、そうだったですよね。)母を引き受けられると子どもなりに考えてました。
私はいつからか傍若無人になった父から母を護りたかった…
けれど…
晩年気づいたんですが、子どもには解らない私からすると、とても屈折した形で、母はずっと父を愛していました。
臨終の時は、皆が集まるまで母は父を持たせました。あんなに苦しそうに喘いでいる父を三日三晩もたせる母とそれに異議を言わない周りが私には怖かった。
孫が可哀想といったけど不思議君はそれどころか、前に書いたけど、病院から父が帰るまで、そしてお通夜、友引を挟んで荼毘にふせるまで、ふらふらになりながらも一睡もしなかった!
それを見ていた私もそうだけど、ぐーぐー寝ていた人にそんなはずない!と嘘つき呼ばわりされ、
私からすれば色んな感情はあるけれど、命を見送る事を皆に阻まれた、取り返しのつかない片想いを体験しました。
以来、私は顔色をとても伺う人間になり、同時に強い不信を覚えるようになりました。
だから私をきにかけて下さる人が、求めて下さる人が、
今生で再来するとは思わなかったんです。
何度も信じて毎回騙されて。
それでも人を信じてしまうし信じたい気持ちが死んではいなかった。
ただ、余りにも壮大なドラマがあるので、
足がすくむというか、立ち方も歩き方もすっかり忘れてしまっているのです。
長くなりましたが、最初の画像は今いる待合室でみつけたもの。
いつからか作業療法というものに目が行っています。
命と関わる命がどう生きたいかを一緒に考える専門職です。
体力が要りそうなので、まだ関われないかもしれないけれど、
私のようなうつ病や、認知症、高次機能障害への支援には必要不可欠なものであるという事が解りました。
その中で、肩肘はって介護をしている人との関わりも書いてありました。
とても頭のいい男性で、男性は介護がデキナイみたいに言われた事に腹が立って、奮起して頑張ってしまったんですね。
だからこそ私は、横の繋がりが大切だと思っています。
トップダウンは好きじゃない。どちらかというとボトムアップがいい。でも、もっと素晴らしいと思うのは、
このトップダウンとかボトムアップとかを意識しないで当たり前に横の繋がりがある社会であって欲しいな~、です。
専門家と素人が同じ発言権を持つ。
経験の長さも大切だけど未経験だっていい。
今よりはそんな世の中が来て欲しいな~…
そのために何ができるかなあ~…
思い付いたらチャンスが巡って来てくれたらいいな~…
って神様からの順番を待っています。
また長くなっちゃった(笑)