遠き日のおひなさま。 | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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昨夜、実家の母から、メールに添付されていた画像です。

お姉ちゃんのお下がりの携帯は旧くて、電池が早々に切れてしまっていたその後の事だったようです。

就寝前に充電しようとした時、センター(メールサーバ)から送信されてきました。

お姉ちゃんが生れた時、今は亡き父が贈ってくれたもの。

もう病気がかなり進んでいたし、マッチ箱みたいなお家だったから(今も変わらないけど・・・苦笑)、

ケースのおひなさま。それでも奮発して、ケースのおひなさまのうち、そのお店の一番高価なものを、

プレゼントしてくれたんじゃないかな。

それを母は出してきて(今のお家もマッチ箱だから、父の建てた立派な家に置いてもらっています。)、

この御雛さまを通じて、父を思い出したり、娘の健康を願ったりしているんじゃないかな。

父と母は不仲でした。父は早くに両親を亡くし、末っ子だったけど唯一の男子だったので、

お姉ちゃんたち(伯母たち)に育てて貰って、恩返しというか身につけた学で、従兄たちを命名するという、

とても責任のある事や、みんなの相談役になっていたりしました。一方母も、

女性できょうだいの真ん中ではありましたが初めてきょうだいで高校に行かせてもらい、

しかも女性に学なんて要らない!と思っていた祖父の所に学校の先生が説得にいらして、

それで母を高校にいかせてくれたらしいんですけれど、そこまでしか祖父は理解しなくて、

それより学の無い自分や、祖母やきょうだいの生活のために、高卒ではまあ滅多に採用されない、

今でも名前を上げたら一部上場企業の経理に勤め、給料の殆どを家にいれていたのだそうです。

だから婚期も遅かったのだそうです。で、そうすると、

両親がそれぞれに船頭みたいなもんなんですよね。家に船頭が二人いたんです。

で、見掛け上、互いに頑固で背負っているものが大きいもんだから・・・ね。

そいういう訳です。母は本当は父の事、愛していたのに表現する事が不器用だったんじゃないですかね。

父はさっきも書いた様に、早くに両親を亡くしていたり、身内に不幸が多かったせいか、

どんなに喧嘩をしても、自分の事はさておき、何か命に関わる事があったときは、

駆けつけました。そういう人でした。母はしないですけど・・・(色々小姑と合わなかったようです・・・。)

母方の祖父は長寿で、父の亡くなる前年に老衰でこの世を去りました。けれど父は病気で、

それでも痩せ細った体で、知識が無いから100円均一のような杖で、祖父の葬儀に駆けつけて、

・・・で、無理しているもんだから、火葬場に向かうタクシーのドアに指を挟んじゃって骨折してね、

・・・これ以上は書けないや。一見、自分の為に費やした僅かな短期間のせいで、

自分勝手に映っているかもしれないけれど、確かに父は、人の為に生きた人でした。

だから最期のお別れをさせてもらえなかった事はとても悔やまれています。

周りが孫がまだ小さいのに、何日も病院に詰めるから、もうお姉ちゃんなんかはフラフラになってしまって、

それでも私が詰めるから、周りが体の事を案じてくれたのか、

実家に泊まらせてくれました。おそらく最期のお別れだと察知していたので、

実家に帰って子ども達を寝かしつけてから、床の間に父が帰って来る時の御布団の用意をしました。

下の息子は感がとても鋭くて、あんなに小さいのにカタコトで「じーちゃん、かえってくる?」って訊いてきて、寝ませんでした。

私は『うん・・・』としか答えられませんでした。説明も難しかったように思ったのだと記憶しています。それでも、

「じゃ、じーちゃん、まつー」って、言いました。

そうしていた夜中の2時を暫く立った頃、もうどれくらい会話していなかったか解らない弟が電話をくれました。

母に苦労をかけたからと、自分を理解してくれなかったと、父ともずっと不仲でいた弟が。

父が天に昇って逝った事を私に告げました。辛抱しているんでしょうけれど涙声でした。

(やっぱり最期になってしまったか・・・)とそれ以上は言葉にも感情にも出来ず、

一生懸命に父の帰りをまつ息子と病院できれいにしていただいて、

家に帰って来るまでの6時間を過ごしました。

息子はそれからもお通夜の時も、父の傍にいました。習わぬ教を詠みました。

間に友引が入ったので葬儀が順延したのですが、その間も夜伽をずっとしました。

周りがとても心配しました。中にはそれを信じてくれない親戚までいました。その場に居たのに自分が先に寝た事が子どもに負けたみたいに思った従姉でした。

父は親戚に愛されていましたから、お従姉も父の死が信じられなくて、ついそう言ったのでしょう。

私は、父が天に昇る最期の最期の瞬間に、横に居たかった!!!

・・・そう言えなかった。あれだけの身内が揃うまで人工的に生き永らえさせられていた父を、

私の声で本当によく太く短く人生を全うされましたと、言葉ではなくて、傍で手を握って伝えたかった。

私の今生の大きな後悔の一つです。けれど、皆が、病院に詰めて、

子どもを預かってくれる人は誰も居なかったから・・・息子だってあれだけの事を見せてくれたんだから、

おじいちゃんに直接お別れを示したかったろうに・・・

そんなこんなを思い出している今日です。

私は、父の死を乗り越えられていません。

そうして母はとてもヤキモチ妬きなので、父は自分だけの愛する人だと思っているので、

母がイニシアチブをとって・・・・これ以上は書けません。

だから、今でも、私はとても父性性を乞うのかもしれません。

人のこころには、物理的な時間軸が及ばない事が往々にしてあります。

何年経ったから回復した、とか、書けません。肉体の傷はお医者さんが見立てて全治~とか、

便宜上書けるかもしれませんが、こころのそれは書けません。

ただ、成り行きを任せるしか無い、という処が本当のところだと思います。

私は・・・自分のしたい事、してなんていない。

それが出来る幸せを解っていない人は嫌いです。

家族の為に我慢をして育った人を一杯見て来ています。それでも時代の風潮で、

「自分のしたい事をする」と最近はよくききます。

ひとりで生きていると思っている傲慢さが、それを言わすのだと私は考えているので、

受け取りたい人がそれを受け取ればいいのであって、

それをアナウンスメントして宣伝という形になり得る可能性を含めた行為にすることは、

いかがなものなのでしょう・・・?と思っているのです。

その人のこころは、その人のもの。

他人が踏み込めない領域が絶対にある。あるんです。

それを弁えた上で、何かの施術をされる分には、異議申し立てをするつもりはありません。

こころの距離。物理的じゃなくこころの距離。

私はあると思っています。ということは物理的に離れていてもこころの距離が近い事もある、

そう考えていると言う事です。


よこしま☆(また、解らない記事になっちゃった・・・( ´(ェ)`))