って、研究室のサーバから来ます。
誤解されるのが嫌でこれまで書かなかったんですけれど、そのままメールアカウントを短くても半年は置いていただけるシステムになっています。
先日から、博士公聴会、修士公聴会、学部諮問会、それぞれの入試、それから大学入試、それから予算執行締め切り、それから国内会議締め切り、それから国際会議締め切り、査読締め切り・・・・・・
・・・が実は一年間ずっと続く業界です。
毎年恒例で正月前に論文概要締め切りがあって、正月明けに論文投稿しめきりがあるので、倒れるまで長い間、お正月は在りませんでした。もちろんお盆もありません。お盆なんて、学生がちょっとだけ休むから、やっと自分の研究に割ける僅かな時間。
大学附属図書館は24時間いつでも使えます。研究室も寝泊まり自由。つまり人生ずっと研究って事です。
中間諮問会、つまり、単なる退学か(学費を納めなかったら除籍になりますよ。要注意です!)、あるいは博士論文は執筆出来ていないけれど課程は修め、認められる業績が上がっている指導認定退学かの判断される専攻のエライ先生達がずらずらずら~っと審査をする諮問会があるわけですが、
この当時は、毎月休みなく、国内と国外と論文を書いていて、プロジェクトは複数走っていて、東大と慶応と情報学研究所との文部科学省のとってもとっても大きなそれが走っていましたから、嘘偽りなく、二週間完全徹夜だったんです。
すると人間どうなるか。
はい、このようになります(笑←おい、笑ってるよ!)
若い独身の男性でもバタバタ倒れる業界です。だから皆さん私が育児も誰にも助けてもらっていない、っていうと信じられない、どうやって今まで来たの?って訊きます。
いや、だから、こうなります、ってば(笑)
国際会議の論文投稿締め切りはいま電子化されていて、パシフィックタイム、つまり朝の7時に投稿を完了するわけです。
始めにドラフト的なものを投稿しておきます。そうして書いている間に、もっとブラッシュアップされた物を出来上がり次第、再投稿、つまりアップロードを繰り返して、最終的に朝7時に、まあそれなりの納得するものを仕上げて完了!倒れます(笑)
だけれども、授業がある場合は、そのまま授業、研究会がある場合は、そのまま研究会に入り、また新たな研究にチャレンジ・・・当時は本当に3週間ごとに第一線級の研究をしてこい、というボスの命がありましたんです・・・。
ごめんなさい!!!!よこしま☆は、東京の友達のところへ逃げました!!!自白!!!
中華街行って、大好きな雑貨見て、食べ歩きして、秋葉原にも行って、ヲタク文化を見て、逃げて逃げて・・・と行きたかったのですが、
子どもを放置出来なかったので、すぐ帰りましたが、それでもやっぱり心は完全逃避していました。
追い詰められてオカシクなるんですよね・・・人間って。だけど、お母さん、逃げられませんから、しょぼん・・・って戻って来て、で、
怖くて研究行けないんですよ。今日も皆の前で、しこたま怒鳴られて叱られるんじゃないか。って。中国の武漢という処の国際会議で最後はつぶれました。英語で叱られて、しょぼん・・・ってしていたら、英語が聴き取れないと思ったボスは、周りに断って(これが尚、私を傷つけた!)日本語でもう一度同じことを公衆の面前で叱咤したんです。
事情は解っていました。大先生が急逝され、後を任せられたボスに国際的に厳しい目が向けられていた事を。私の様な出来の悪い人間が行くと、沽券に関わると。
ボスは、激励のつもりでして下さったのは解っていますが、申し訳ないですが少々旧い体質のそれは、メンタル的にいくらなんでもハラスメントのオンパレードで、もう本当に無残でしたね・・・。
よりによって共著者がすごく出来た人で、それで周りからのやっかみもありましたから(大先生の秘蔵っ子です。書いちゃった・・・。)・・だけど本来は共著者は同行するんです。第一著者が学生の場合は責任があるから。
その人、ちょっとっていうか、かなり変わっていて、唯我独尊みたな所がある子だから、来なくて、結局、誰にも守って貰えない状態で、そうなるとボスが最終責任を負うんですけれど、
形になって現れたのは、公衆の面前で私を完膚無きまで・・・でした。
他の大学の女子学生はわがままで、その子の面倒を見る必要があったし、もう一杯一杯だった・・・。
申し訳ないですが、大陸的なその豪快過ぎるアプローチは、私にはちょっとオーバーフロー気味でした・・・関西弁で言うところのえげつない、ですわ。いくらなんでも、もちません、って。
会議に行くまでにもう、ずっと疲労は蓄積されていて、寝てなかったんですから・・・。そう思うと、
病気や障がいが私を助けてくれたのかもしれません。子どもの不登校が助けてくれたのかもしれません。
今日は、ボスの機嫌が悪いのか、今年度の学生の出来が悪いのか、とっても長文の研究に対する厳しい指摘の羅列とエクスキューズのメールが学生の数の分だけ、ドドドドドド!!!!って飛んできます。
まるで何かへのうっ憤を晴らすかのように飛んできます・・・ボス・・・元気すぎる・・・還暦過ぎたのに、なんのその。
まあ、それくらいでないと世界で有名にならないけどね。(あ、業界ではそういう人らしいですよ。私や子ども達からするとフツーの怒りんぼうなオジサンだけどね。)
はー・・・・でも内容は把握していないとね。
倒れようと思ったんだけど・・・きっと読んでしまうんだろうなあ・・・そうして、徹底的に論理思考を叩きこまれる・・・
ほへ~・・・私、フツーのオバサンがよいのに・・・ぶ~☆
誤解されるのが嫌でこれまで書かなかったんですけれど、そのままメールアカウントを短くても半年は置いていただけるシステムになっています。
先日から、博士公聴会、修士公聴会、学部諮問会、それぞれの入試、それから大学入試、それから予算執行締め切り、それから国内会議締め切り、それから国際会議締め切り、査読締め切り・・・・・・
・・・が実は一年間ずっと続く業界です。
毎年恒例で正月前に論文概要締め切りがあって、正月明けに論文投稿しめきりがあるので、倒れるまで長い間、お正月は在りませんでした。もちろんお盆もありません。お盆なんて、学生がちょっとだけ休むから、やっと自分の研究に割ける僅かな時間。
大学附属図書館は24時間いつでも使えます。研究室も寝泊まり自由。つまり人生ずっと研究って事です。
中間諮問会、つまり、単なる退学か(学費を納めなかったら除籍になりますよ。要注意です!)、あるいは博士論文は執筆出来ていないけれど課程は修め、認められる業績が上がっている指導認定退学かの判断される専攻のエライ先生達がずらずらずら~っと審査をする諮問会があるわけですが、
この当時は、毎月休みなく、国内と国外と論文を書いていて、プロジェクトは複数走っていて、東大と慶応と情報学研究所との文部科学省のとってもとっても大きなそれが走っていましたから、嘘偽りなく、二週間完全徹夜だったんです。
すると人間どうなるか。
はい、このようになります(笑←おい、笑ってるよ!)
若い独身の男性でもバタバタ倒れる業界です。だから皆さん私が育児も誰にも助けてもらっていない、っていうと信じられない、どうやって今まで来たの?って訊きます。
いや、だから、こうなります、ってば(笑)
国際会議の論文投稿締め切りはいま電子化されていて、パシフィックタイム、つまり朝の7時に投稿を完了するわけです。
始めにドラフト的なものを投稿しておきます。そうして書いている間に、もっとブラッシュアップされた物を出来上がり次第、再投稿、つまりアップロードを繰り返して、最終的に朝7時に、まあそれなりの納得するものを仕上げて完了!倒れます(笑)
だけれども、授業がある場合は、そのまま授業、研究会がある場合は、そのまま研究会に入り、また新たな研究にチャレンジ・・・当時は本当に3週間ごとに第一線級の研究をしてこい、というボスの命がありましたんです・・・。
ごめんなさい!!!!よこしま☆は、東京の友達のところへ逃げました!!!自白!!!
中華街行って、大好きな雑貨見て、食べ歩きして、秋葉原にも行って、ヲタク文化を見て、逃げて逃げて・・・と行きたかったのですが、
子どもを放置出来なかったので、すぐ帰りましたが、それでもやっぱり心は完全逃避していました。
追い詰められてオカシクなるんですよね・・・人間って。だけど、お母さん、逃げられませんから、しょぼん・・・って戻って来て、で、
怖くて研究行けないんですよ。今日も皆の前で、しこたま怒鳴られて叱られるんじゃないか。って。中国の武漢という処の国際会議で最後はつぶれました。英語で叱られて、しょぼん・・・ってしていたら、英語が聴き取れないと思ったボスは、周りに断って(これが尚、私を傷つけた!)日本語でもう一度同じことを公衆の面前で叱咤したんです。
事情は解っていました。大先生が急逝され、後を任せられたボスに国際的に厳しい目が向けられていた事を。私の様な出来の悪い人間が行くと、沽券に関わると。
ボスは、激励のつもりでして下さったのは解っていますが、申し訳ないですが少々旧い体質のそれは、メンタル的にいくらなんでもハラスメントのオンパレードで、もう本当に無残でしたね・・・。
よりによって共著者がすごく出来た人で、それで周りからのやっかみもありましたから(大先生の秘蔵っ子です。書いちゃった・・・。)・・だけど本来は共著者は同行するんです。第一著者が学生の場合は責任があるから。
その人、ちょっとっていうか、かなり変わっていて、唯我独尊みたな所がある子だから、来なくて、結局、誰にも守って貰えない状態で、そうなるとボスが最終責任を負うんですけれど、
形になって現れたのは、公衆の面前で私を完膚無きまで・・・でした。
他の大学の女子学生はわがままで、その子の面倒を見る必要があったし、もう一杯一杯だった・・・。
申し訳ないですが、大陸的なその豪快過ぎるアプローチは、私にはちょっとオーバーフロー気味でした・・・関西弁で言うところのえげつない、ですわ。いくらなんでも、もちません、って。
会議に行くまでにもう、ずっと疲労は蓄積されていて、寝てなかったんですから・・・。そう思うと、
病気や障がいが私を助けてくれたのかもしれません。子どもの不登校が助けてくれたのかもしれません。
今日は、ボスの機嫌が悪いのか、今年度の学生の出来が悪いのか、とっても長文の研究に対する厳しい指摘の羅列とエクスキューズのメールが学生の数の分だけ、ドドドドドド!!!!って飛んできます。
まるで何かへのうっ憤を晴らすかのように飛んできます・・・ボス・・・元気すぎる・・・還暦過ぎたのに、なんのその。
まあ、それくらいでないと世界で有名にならないけどね。(あ、業界ではそういう人らしいですよ。私や子ども達からするとフツーの怒りんぼうなオジサンだけどね。)
はー・・・・でも内容は把握していないとね。
倒れようと思ったんだけど・・・きっと読んでしまうんだろうなあ・・・そうして、徹底的に論理思考を叩きこまれる・・・
ほへ~・・・私、フツーのオバサンがよいのに・・・ぶ~☆