可能性と蓋然性の混同http://jas21.com/athenaeum/athenaeum60.htm
一部抜粋します。
『
☆別概念の混同
かねがね 「 可能性が高い 」 という表現に疑問を感じてきました。
昔、教授会で同僚の理学博士が、以下のようにいうのを聞いて以来のことです。
「 可能性はあるかないか? ゼロでない限り、常に可能性は "ある" のです。多少や高低など、程度をいうなら蓋然性です。二つの概念を混同してはなりません 」
最近の新聞記事をみると、可能性を possibility ではなく、probability の意味で使っている例が多く見られます。
probability は普通、蓋然性とか公算と言います。
見込み、確からしさ、確率ということもあります。
それがどうしたことか、最近は可能性一本槍になりました。
新聞は影響力が大きく、用語は正しく使って貰いたい。
可能性と蓋然性は概念がはっきり別で、混同は許されません。
☆国語の粗略
最近は可能性一本槍になりました。
新聞は影響力が大きく、用語は正しく使って貰いたい。
可能性と蓋然性は概念がはっきり別で、混同は許されません。
☆国語の粗略な扱い
戦後、わが政府は日本語を改竄と言いたいほどいじりました。
現代仮名遣いの出鱈目さは沙汰の限り。
残念ながら、今や完全に定着してしまいました。
破裂音 「 ぢづ 」 を、摩擦音 「 じず 」 に統一するなど、乱暴というより文化破壊です。
』
これらを読んで、丸呑みとは言いませんが、それでも、「そうだったんだー!!!でも、そう思っておられる方が、もう随分前にいらしたんだー!!」と思いました。
例えば、少しずつ、という書き方。今は少しづつでも問題無いとされているようです。でも、私が幼少の頃はこれを徹底的に仕込まれました。つまり、上で言う処の破裂音 「 ぢづ 」 を、摩擦音 「 じず 」 に統一するなど、乱暴というより文化破壊とするならば、もしかしたら、少しずつの起源は少しづつなんですか?
誰が正しい、いわば正統流派あるいは本流あるいは源流(もうどう書けばいいか解らない!!)コトノハをどうぞ教えて下さい!!!学校の国語の先生はこれらを事実として教えてくれては来ませんでした・・・。
私は本気で、心から、魂から、奥底から、別概念の混同をしたくないのです。
は~・・・長い長い間、疑問に思っていた事と、その具象例がやっとやっと明確になりました・・・。
ずっと混乱していた理由はこれだったんですね。これまでも、私自身、いっぱい間違えてブログを書いていると思います。けれど、それに卑下することなく、想いをぶつけて、私の知りうる限りの言葉をぶつけて、それが冗長であるのは、もし読者の方に正しい言葉を御存知の方がいらっしゃるなら、どうぞ私に力をお貸し下さい、というメッセージが含まっていたからなんです。
私は混乱すると、パニックを起こしたり、鬱病になる特徴を持っていて、それでとても苦しんで生きています。どうかご協力いただいて、助けていただいて、この苦しみを少しでも軽減するお力とさせてください。お願いします!!!
☆おまけ☆このようなコラムも書いておいでのようです。シェアします。
『魂を癒す歌』http://jas21.com/athenaeum/athenaeum224.htm
一部抜粋します。
『
☆別概念の混同
かねがね 「 可能性が高い 」 という表現に疑問を感じてきました。
昔、教授会で同僚の理学博士が、以下のようにいうのを聞いて以来のことです。
「 可能性はあるかないか? ゼロでない限り、常に可能性は "ある" のです。多少や高低など、程度をいうなら蓋然性です。二つの概念を混同してはなりません 」
最近の新聞記事をみると、可能性を possibility ではなく、probability の意味で使っている例が多く見られます。
probability は普通、蓋然性とか公算と言います。
見込み、確からしさ、確率ということもあります。
それがどうしたことか、最近は可能性一本槍になりました。
新聞は影響力が大きく、用語は正しく使って貰いたい。
可能性と蓋然性は概念がはっきり別で、混同は許されません。
☆国語の粗略
最近は可能性一本槍になりました。
新聞は影響力が大きく、用語は正しく使って貰いたい。
可能性と蓋然性は概念がはっきり別で、混同は許されません。
☆国語の粗略な扱い
戦後、わが政府は日本語を改竄と言いたいほどいじりました。
現代仮名遣いの出鱈目さは沙汰の限り。
残念ながら、今や完全に定着してしまいました。
破裂音 「 ぢづ 」 を、摩擦音 「 じず 」 に統一するなど、乱暴というより文化破壊です。
』
これらを読んで、丸呑みとは言いませんが、それでも、「そうだったんだー!!!でも、そう思っておられる方が、もう随分前にいらしたんだー!!」と思いました。
例えば、少しずつ、という書き方。今は少しづつでも問題無いとされているようです。でも、私が幼少の頃はこれを徹底的に仕込まれました。つまり、上で言う処の破裂音 「 ぢづ 」 を、摩擦音 「 じず 」 に統一するなど、乱暴というより文化破壊とするならば、もしかしたら、少しずつの起源は少しづつなんですか?
誰が正しい、いわば正統流派あるいは本流あるいは源流(もうどう書けばいいか解らない!!)コトノハをどうぞ教えて下さい!!!学校の国語の先生はこれらを事実として教えてくれては来ませんでした・・・。
私は本気で、心から、魂から、奥底から、別概念の混同をしたくないのです。
は~・・・長い長い間、疑問に思っていた事と、その具象例がやっとやっと明確になりました・・・。
ずっと混乱していた理由はこれだったんですね。これまでも、私自身、いっぱい間違えてブログを書いていると思います。けれど、それに卑下することなく、想いをぶつけて、私の知りうる限りの言葉をぶつけて、それが冗長であるのは、もし読者の方に正しい言葉を御存知の方がいらっしゃるなら、どうぞ私に力をお貸し下さい、というメッセージが含まっていたからなんです。
私は混乱すると、パニックを起こしたり、鬱病になる特徴を持っていて、それでとても苦しんで生きています。どうかご協力いただいて、助けていただいて、この苦しみを少しでも軽減するお力とさせてください。お願いします!!!
☆おまけ☆このようなコラムも書いておいでのようです。シェアします。
『魂を癒す歌』http://jas21.com/athenaeum/athenaeum224.htm