父は4つの時に母親を亡くします。

妹を産んだ肥立が悪くて。

父は末っ子の男の子でした。

正確には三男ですが、上二人の男子は、

育たなかったそうで、生まれる頃には既に亡くなっていたのだとか。

なので祖父の期待を全部背負ったようです。

ところが末の妹も小学校に上がって直ぐに病気で亡くなったそうです。

父が十歳くらいの時でしょうか。

そうして父が十七歳の時、

七つ歳上の姉、つまり伯母が二十四歳で未亡人になります。

伯母のお腹にはもうすぐ誕生という従兄が宿っていました。

伯父は勤め先の事故でその日のうちに突然帰らぬ人となりました。

伯母は身重で葬儀を出しショックで従兄を仮死状態で早産しました。

昭和三十二年の十二月の事です。

父は十七歳で従兄の父親代わりとなりました。

伯母はそのまま帰って来ましたが仕事に就かねばなりません。

きょうだいで協力しあったようです。

その二年後父が十九歳の時、祖父は亡くなります。

祖父は遺言で大学をやめて家業を継ぐ様に言ったそうですが、

父は祖父を看取った後、姉たちにそれよりも大学を最後まで行かせて欲しいと懇願したそうです。

もちろん伯母たちは快諾し奨学金と仕送りとで卒業させてもらったのだそうです。

けれど父には思惑がありました。

従兄に後を譲ろうと思っていたようです。

当時祖父が亡くなって、家を借りられるはずもないだろうと、

伯母と従兄を思っての行為でもありました。

自立のためは半分口実だったのだと思います。

他の伯母はヤキモチを妬いたそうです。

嫁ぎ先は皆が皆、決して順風満帆ではなかったからです。

それでも父はそうしたのだそうです。


それからも事ある毎に父は従兄の父親という役割を最優先しました。

私は実の子では無いのではないかと思っていたくらいです。


亡くなった義理の伯父譲りの容姿も相まって、

いつしか従兄は小皇帝の様に成っていきました。

時代もあったんだと思います。

一番バブルという時代の恩恵を受けたと思います。

従兄はそうして本家のあとを取りました。


私は事情は解っていたけれど、

やっぱり父が物心ついた時には、

従兄の父親という役割を最優先していた事を、

とても寂しく思っていました。

仕事も遊びも忙しく、

たまに帰ったと思えば夫婦喧嘩しかなくて、

そうでない時は従兄の父親代わりで出来のいい末の弟で。

寂しかったですよ。

事情がそうだし父は苦労人だからワンマン気質だから、

決めた事は貫くからその通り以外に耳は貸さなかったでしょう。


もういまはもう済んだ話みたいになってますけど、

そりゃああれだけ父にしてもらいながら、

周りに助けてもらいながら、

やはりそれだけしても実のお父さんではない、

という事で、

我儘で幼稚に育っていた従兄を、

私は物心ついた時から、

ずっと理解出来ませんでした。

どれだけ周りが彼に振り回されたか。

最近は別れた娘に子どもが出来ておじいちゃんになったので、

落ち着くかと思いきや…でしたが、

彼と私の間の、私からすると直ぐ上の従兄が周りに何かを訴えるように、

自ら旅立ってから、

ようやく従兄弟(姉妹)として、

多少は自覚が…と言いたいですが、

たま~に気になって連絡をいれたらば、

相変わらずみたいです。

最近の返事は照れ隠しから来るそれだと思いたいですけどね。


そんなこんなです。


はい、父の事はもう書きません。

後は全部閉まっておきます。

いつか私の中の幼子が暴れたらどうなるか解りませんが、

今の時点では、

もうなんていうか、

いいじゃん、ってカンジです。

長々と失礼しました。