昨夜、お接待の記事をアップしました。
その際、自治体の長の皆さんが、それぞれボランティアでテントを張ったり、交通整理などをされているんですが、
お賽銭をしてお祈りをしようとしたら、そこを守って下さっているおじいちゃん。おみくじや護摩札の担当をされていました。
ひょんな事から会話が始まって・・・気付けば座りこんでずっと話し込み。
おじいちゃん、最近のニュースを聴いて、子どもを取り巻く問題にとっても胸を痛めておられる様子。
戦争にいって帰還して・・・って話を何度もされました。おそらく戦地に出向いたのは、未だ子どもとも言える歳の頃だったのではないでしょうか。
その時に辛かった事を昨今の体罰で思いだされはったんかもしれません。そうして、おじいちゃんは、
「私はもう、長くはないけど、(いえいえ、そんなことおっしゃらずに長生きしてください・・・)これから先の、若い子、一体、どないなるん?学校でお参りの仕方とか、習わへんの?いろんな参り方してはるけど、けったいな子もいるんや・・・」
・・・・。京都に来て、間近になって、行くようになりましたが、私が幼少の頃は参りませんでした。
父は早くに親やきょうだいを見送り続けているので、辛かったのだと思います。町を歩いていて、ふらっと寄るということもありませんでした。
なので、恥ずかしいんですけれど、たぶん所作がなっていないと思うんです。それを自覚はしています。
ですから、社務所に伺ったり、前に拝んでおられる方の所作を拝見して、倣わせていただきます。そうしてなんとなく覚えました。今では看板もあったりします。
で、しばらくおじいちゃんの御話を聴いていました。長くて辛かったのでしゃがませてもらいました(笑)
で、おじいちゃんはちょっと疲れたのか、御辞宜をされて「勘忍ですな。勉強なりましたわ。」って。私も”いえいえ、こちらこそ、とってもお勉強になりました。お元気でいて下さいね。”って。
西尾さんのテントにいくまでに他の自治体の長の少し若手の方がいらしたので、”あちらのおじいちゃまは、どなたですか?”と伺うと、川端・冷泉あたりの自治体の長のおじいちゃんでいらっしゃいました。
おじいちゃん、卆寿でおいでだとか。この3月で引退なさる、ということで、またもどっておみくじを引かせていただきました。
不思議で素敵な出逢いでした。私は父方は、書いていますように、父が幼少のころに亡くなっていますから、産まれたときには、もう祖父母はいませんでした。友達がおじいちゃん・おばあちゃんの話をしていても、話に入れない子どもでした。
だから、もし生きていれば、まあ、おそらくおじいちゃんくらいかもしれないから、”もし、いまでも、おじいちゃんが生きていたら、こんな感じで御話するのかなあ・・・”って思いながら、御話を聴いていました。