如何せん独りで対峙している事実、
何事も熟考するように躾られている事実、
この二つから、
私は没入しやすいです。
最近、体罰の問題が取り沙汰されていますが、
私が育った時代は小学校でも中学校でもあったし、
家でもありましたよ。
特に母方の祖父は徴兵されてましたしね。
で、時代を今にしますね。
随分と解ってきた事があります。
暴力を振るわれた子どもはもちろん体も心も傷つきますが、
案外知られていないかも?と気づいたので書きますが、
その場面に遭遇した人もPTSDになるんです。
あくまで医学的見地ですけど。
※簡単なところでいうと、
まだ幼い子どもは夢と現実の境がありませんから、
大人が配慮なくホラー映画を見せると影響が出ます。
それを研究している小児科のお医者さんもいますよね。
※※発達心理学の大家、ピアジェによると、概ね7歳くらいには内語(思った事)をそのまま(思い付ついたまま)言わなくなる、と言っていますし、
10歳には分化出来るようになる(この場合については詳細な行動としては私はまだはっきりとは解っていません。)ので、
これらに基づいて小学校のカリキュラムは一応は系統たてられているはずですけど、
集団教育ではひとりひとりに合わせるわけにはいきませんから、
なかなか大変なわけで、
例えばこれを親が知っていると吾子が発達心理学的にゆっくりなのかそうでないのか、
少なくとも見極めが出来ます。
まあ、ピアジェも学説の太い流れの一つではありますが、
流派はいろいろありますし、
日本は変わらずトップダウン的だし、
ある意味直交概念のシュタイナー学校は日本でまだ、
関東と関西に数校しかありませんから、
そのような土壌の今の学校教育で、
どんな子どもになってしまうのか、
本当に案じていますし、よく考えたら、
私たちだって一杯傷ついて来たから、
傷ついていた私たちが、私たちがされたけれども、
それを過去のもの、別のものとして、
これからの子どもを育てなければいけないのだなあ、と、
思ったりしています。一方で、
昔とは比べ物にならないくらい、
食べ物がよくなって西洋人並みに体格がよくなって、
二次性徴の時期が早くなった子どもに、
その衝動性をどうコントロールしていくのか、
並行して考えて育てていく必要があると私は考えています。
思い起こせば2001年に発起して奈良女子大学大学院の門を叩きました。
旧姓"高等"師範学校。全国に数校です。
そこで専門過程に籍を起きながら当時、教職の単位を受講した事は、
私の今に活かされていると思っています。
有り難く贅沢な事に、
小ぢんまりとしたキャンパスに、
その道の大家の先生達が、
当たり前にいらっしゃって、
少人数制のゼミでコミュニケーションを図る。
別の側面もありますが、
命を預かる女性という性別を持ったからこそ出来る何かを、
たくさん模索している、
ある意味しっかりした女性の学校であると、
今は振り返っています。
話が随分と脱線してしまいました。
暦を考えてももう12年前。
また新たに『今まさに、何が起こっているのか!?』を、『どういう方向性が全体として好ましいのか!?』を、
OSを入れ換えるように、
もう一度考える(研究する)時期が来たのかもしれません。
奇しくも、そうして図らずも、
暦は12年回りました…。
そんな事を実は考えていた今日この頃です(笑)
素敵な日曜日をお過ごし下さい
