誤解を恐れずに書くのならば、
『知的障害を伴わない、原因不特定の広汎性発達障がい』
です。
・・・・もう、いい加減解って欲しい。
わたし・・・予習とか復習とかしない人、
改善が無いから嫌い。
・・・なんかもう、疲れた。
そうですね、私が疲れているために、発達障がいの特徴が強く出ていますね。
とぉ~っても優しいか、
とぉ~っても厳しいか。
間がなくなります。
それを知っているから、普段意識しているので、出来るだけシームレスでいたいと努力しています。
けれど疲れきっていたらそれも出来ません。
不可能、ではありません。
不能、になります。
まあ、分数でいったら、不可能は分子がゼロ、
不能は、分母がゼロ。
無限級数を習った人ならlim(0→∞)が発散するか、収束するかで理解していただけると思うんですけど、
要は、本当に疲れてしまうと、余裕が無くなって、
0か1になって、極端になってしまうのです。
疲れて疲れて、それがどういうわけか、ヒステリ症状に転化してしまい、
感情のコントロールが効かなくなります。
それも解っているので、出来るだけ辛抱しているんですけど、
でも・・・本末転倒というか、逆転現象が起きているな、
って解ります。
どうして障がいをもっている方が、健常に合わさないとイケナイんですか?
障がい、って言ってる、って事は、医学的に生物学的に、健常やマジョリティ(多数)や普通に、
合わせられない人なんですよ?という意味です。
なのに、どうしてステレオタイプで人を見るかなあ・・・
社会で生きて行くのに、ステレオタイプというのがあって、
それを知っているのと知らないのとでは、生きやすさが違う。
横浜の発達障がいを専門に研究している女医さんが書籍でそう書かれています。
けれど、ふと思ったんです。
これを知的障がいを伴わない発達障がいの当事者が読むだけに閉じていて、改善があるんだろうか・・・?という疑問です。
例えば、中居くん演じたATARU。あのキャラクタにあるような事が、自閉症スペクトラムなので、一部共通しています。一部、です。部分集合。(はい、ベン図思いだしてね。中学校の範囲ね。)
一見、健常者からみて、特別や奇異な能力と思われる事が、発達障がい者にはあります。
・・・なんだか、もう疲れて来ました。人生ずっと説明してきても、
「発達障がい」この字ずらを見たり、聴いたりしただけで、なんだか線を引いて、
理解しようとしない人が多すぎるんだもの。
そもそも、アスペルガー博士が自閉の子どもを研究していて、自分にも共通する特徴があって、
自分は知的障害を伴わないから、そこから博士とまあ、ほぼ似た特徴を持つ人に対して、
まあ、分別っていうか、印っていうか、理解促進のためっていうか、アスペルガーってついたんだけど、
ナントカ障がい、ってネーミングセンス、まったく無いよね!!!
そもそも学術用語をそのまま一般の人に浸透させてどうするんだろう・・・???
「ゆっくりくん」「ドジっこちゃん」「ガンコちゃん」「うっかりくん」・・・でいいじゃん!!!
・・・て「どう思いますか?」って言うから、うっとぉーしがられるんだよね。
だけど大切なことだと思うよ?
他にも色んな、障がいをもっている人いると思う。
その障がい者はね、健常者が健常な状態で考えた枠組みに、はめられて生きているの。つまり、
障がいを持ってもなお、健常という理想に併せる事を強いられているの!!!
落合恵子さんが仰ってた。
「人間は人生において、健常である時期は、ごくわずかな若い時期でしかない。」って。
そりゃそうだ!!40過ぎたら(そうでなくても)あちこちガタがくる!!
なのに、それに対して、病院にかかって病名がついたら、それに対してのイメージで偏見がある。
だから、科の名前によっては受診しない。おどろおどろしいから?
実際に通って、その目で、その体で、経験したら解る事なのに。
健常と言われる人への啓発が行き渡らないうちは、偏見はなくならないだろうね。
少なくともわたしはそう思ってる。
わたしもかつては健常でしたよ?
みぃ~んな老いる。なのに自分だけ特別みたいに思っているのは実は健常と言われている人じゃないの?
そう、これで解ったと思います。
どこかで対岸の火事みたいに思っているその心こそ、偏見なのだと。
これ以上、この件については、書く事はありません。もう疲れました。
どこまでも理解しない人はしない。しようとしない人もしない。残念です。
わたしの疲れは・・・もしかしたら、三島由紀夫が思ったそれに近いのかもしれませんね。
知的障がいを持たない・・・も厄介です。
解っていない方が、救われる事もある。
寝た子を起こすな、というのは、そういう意味もあるのかもしれないなあ・・・と、
思ったりしています・・・。
だから、わたしは、障がいを、神様からのプレゼントだと思っています。
ファインディングニモの幸運の鰭、の意味、解りつつありたいです。
英語でどうしてチャレンジドなのか、解りつつありたいです。
わたしは、解りたい。偏見を超えたい。
そう、わたしは強欲で謙虚。矛盾の塊。だけど、矛盾なりに拘りが在って、やっぱり同じ矛盾なら、矛よりは盾で在りたい。そう思って生きています。
もう、やだ。悲しいニュースが多すぎるよ・・・やだよ・・・やだ。