混声合唱組曲「海鳥の詩」から ~ 4:北の海鳥。



組曲なので1~3もあるわけですが^^;

これで、ド素人が1stソプラノですよ!やらされたのぉぉぉ~(T▽T;)

それこそ冬の日なんて声帯が温まらないまま。

一年に一度ホールを借りて発表するんですよ。

一年生の時にクラシックギター購入して「はい、夏休みの宿題♪」で、触ったことない人にロマンス弾かすんだからっ☆

これみよがしに経験者はビブラート効かしちゃって・・・当時のブラバンの部長だけどねっ☆

そのブラバンのサックスのソロのモチーフ、アルトサックスの子に頼まれてアイデア出してやったさ。ふんっ☆ポピュラーソングアレンジだったからね。ぶつぶつぶつ・・・

どうも面白くなくて嫌われていたみたいだったわさー。・・・と遠い目・・・

とまあ、スパルタでした・・・音大附属とかじゃないのよ(笑)

それがまた腹の立つ事に、ブラバン部長の男子が入ると混声だから、まあ、ホールに響く、響く。

最高学年のプライドで、音量も正確さもハンパなかった。

前の年には、團 伊玖磨さんのこれまた組曲「筑後川」。



「こらっ!よこしま!!!声出てないっ!!!」

ひーん!!! 私はコーラス部でもありましぇーん!!!(T▽T;)

初年度の最後でこれだから「声でないよぅ~・・・」だったのに、翌年「海鳥の詩」・・・

譜面みて・・・気が遠くなった・・・(T▽T;)

注意受けていたのは・・・劣等生だったんだろうなあ・・・

ひとりだけ変な声だったのかなあ・・・

ファルセットになると変な声なのかなあ・・・

音楽は好きで好きで、休憩時間にブラバンのパート練習のところへ順番にいって、楽器応援いってたり、

コーラス部見学にいっていたり、ギター部もいったり、していたなあ・・・

プライベイトで音楽教室通っていた・・・

でも、塾の先生には、

「受験があるんだから、帰宅部にしなさい!」って言われてて、

親も賛同してたから、結局、音楽の道には行けなかったなあ・・・

そもそも、「音大行くなら(東京)芸大!個人授業にどれだけ要ると思ってる!!」

だったもんなあ・・・ぶーぶー。

当時ピアノをしたのは、音大志望の女子生徒より遥かに凌ぐ腕の、同大の英文科に進学した友達。

全然、前に出なかったけど、遠慮がちにしていたけど、ピアノの前で構えた時の腕の筋肉の隆起で「!!!」ってみんな解ったね・・・。

彼女もお父さんが既卒者でアナウンサーさんだったから指定校推薦。面接だけ。評定偏差4.7とか4.8でだよ?進学校で。

あの時から、出来る子は出来るんだなあ・・・サラブレッドなんだなあ・・・って思ったね。

庶民出身の私としてはね・・・はー・・・ほんとスパルタだったなあ・・・

御蔭さまで今でも初見には困らないけど・・・

今思うとホントしごかれていたなあ・・・どうしてかなあ・・・

・・・で、辛くても、叱られても、やっぱり途中で投げ出さなかった・・・

あれだけ、みんなの前で、毎回叱られたら、ふつーは・・・ていうか今時なら、

行かなくなるんだろうね~・・・

行ってたね・・・・変なのぉぉぉ~・・・なんでかな? ・・・はて?

ま、いっか。今日はメンテナンスらしいから書いても皆さんの目に留まるのは、

メンテナンス明けでしょう・・・

最近、突然、音域が広がって。楽に出るカンジ。力みが無くなったからかなあ・・・。

ま、体をパーツで意識できるようになってきたからなんだけどね。

・・・って、これも関係ないか。

八重さんじゃないけど、発表する場所がなくなっちゃったもんね。色々・・・。

学会発表も、壇上でマイクでさ、本人はド緊張してるんだけど、最後、自分を奮い立たすのは、

オーディションとか発表会の緊張や練習と通ずる所があるから、人声マイクで「あー・・・」て声を出すと、

「ま、どうにかなるか!」ってやってたんだけどね。

やってたんだけどねー・・・・遠い目。

変なブログ。

ホント変なブログ記事だ・・・

ブログやってていいのかなあ・・・大した事何も書いていないしね。

みぃ~んな凡人さんだよぉぉぉ~ん♪

それがどうしたあー☆

だけど・・・組曲だから、壮大だったなあ・・・

高校は大阪の吹田市、千里丘陵にあります。

自由な校風。でも、自由になるためには鍛錬が必要なのだと、

それを体感した3年間だったなあ・・・。

それこそ京大出身の女性の数学の先生に、

「あんたらは、能力はあるんかもしれん!でもそれがナンボのもんや。

学力があらへん!!!」って一喝!

怖かったなあ・・・学問に対して真剣だったね。どの教科の先生も。

本当に命懸けで生きていたね。懐かしいね~♪・・・おやすも♪