寝込んでる私に、
ご飯は?プリントは?矢継ぎ早に詰問。
結果として甘やかしてしまったのかなあ…
倒れている人間になぜ言うの?
怒りながら階段を下りていく。
代わりに息子が上がってきて何でもかんでも愚痴る。
体がもっと辛くなる。
私が見せて来た事は、
こうなる事だったのか…
何でもかんでもお母さん。
その私は親にそんな事は言わなかった。
例え自業自得で倒れていても、
『おかあさん、しんどいんや~。なにかれいぞうこをみてつくろう。
おとうとのぶんもつくろう。』ってしてた。
お父さん女性のところに行ってて帰って来ない時期だったから。
連絡先も知らないくらい小さかったし。
ずっとそうして大きくなったら、
ローリスクハイリターンだと思われて、
あれもこれも願うようになった。
『いい大学に入れ』そう言って凄めば、
私は全部調べて親に負担のかからない学費のところにしたし、もう随分と…
あれ?
思い出した…
中学の時に亡くなったおばあちゃん、
私の母親をずっと案じてて、ずっとずっといい歳してもお弁当を作ってたって聞いた。
おばあちゃんは、お母さん(ひいおばあちゃん)を早くに亡くして、お父さんは再婚した。
つまりひいおじいちゃんが再婚した。
やがて妹が生まれた。
ひいおじいちゃんの知らないところで、随分と辛く当たられたらしい。
だから私の父と母は随分と不仲だったけれど、
昔は子どもは置いて出ないといけなかったから、私と弟には会えないし、
父には再婚相手候補があったようだから…
あれ?
どうしてこれらの話を、
私が随分と前から知っているの?
いつだったか爆発しちゃって苦しい嫌だー!
って五年位前に言ったら、
『だって五歳や六歳の子どもが覚えていると思わへんやん…』って。
あの~…
もっと前から、なんなら、
弟が生まれる前からの記憶がしっかりありますが。
(-_-)
母親は昭和13年生まれ。大阪も火の海だったらしいから、戦争を忘れたくて一緒に忘れたんでしょう。
人は耐えられない事があると防衛本能で自ら脳内モルヒネを出すらしいです。
息子は何度もイジメられて大怪我をしましたが、駆けつけて病院に運ぶ間、放心状態でした。
救急隊員さんに教えてもらいました。
だから娘の事も案外冷静でいられたんだと思います。