『いづう』のぼんさんの有難いお話 | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

『自分が赤ちゃんの時にしてもろたように、


親の下の世話をして初めて、


その人の子どもになれるんやで。』


先々代を送ったぼんさんが仰有いました。


何でも勝ってないと気が済まない母の前で、


私には心を許した父と私が気に入らなかったのでしょう。


口の達つ母の言葉だけを鵜呑みにした親戚知人御近所の皆様からは、

大変な仕打ちを頂戴しましたが、

この言葉をきいて救われました。


エスティーローダーという会社で若い子も少しずつ八寸のようなミニサイズにして可愛いポーチで包んだら安価で楽しめるのに。

ビギナーズキットの誕生です。

父の発案です。

両親を早くになくし姉たちに育ててもらったからこそのアイデアです。

丁度バブル期だったでしょうか。

それから世の中はビギナーズキットが浸透していきました。

それが認められ東京本社の素晴らしいポジションで迎えられました。

私も弟も大学生だったので単身赴任になりました。

代々木八幡と上原の間にあるマンションで当時、永六輔さんの御令嬢様とお隣でした。

ディズニーランドに友達と行くときに宿として貸してもらいました。

独り暮らしで汚くて(笑)友達にごめんねごめんねって。

こんなもんだよ、って笑って一緒に片付けてくれました。

そんな父も当時はまだ関西人の色が濃い人には厳しかったし単身だからアウェイだったのでしょう。

決して言いませんでしたが会社の名簿からは、とても厳しい状況に追いやられていた事が読み取れました。

母は見た目(世間体)で生きている様な人なので事情を汲むことなく相変わらず侮蔑していました。

そんな父の収入でいい生活が出来ているのに…。


ヘルパーの二級を取ったのは自分の向上心のため。

家では一切しませんでしたし職にも就きませんでした。

まあ、そうして家にいないと、私は娘や息子の世話や仕事や学業もありましたから、四六時中傍にいれませんでしたし。そういう意味では母にちゃんと感謝です。


それでも昔、父自身ではどうしようもない理由で母が父と伯母を罵倒しました。母は気位が高いので喧嘩になると言ってはイケナイも言ってしまいます。

夫婦喧嘩の鉄則は、

・食事などの生活にまで当たらない(引き摺らない)

・おやきょうだいの悪口を言わない(波及しない)

が今思い付く大きな注意点だと思うのですが、

これはずっと治っていません。

ただその喧嘩に勝ちたいだけ、自分が正しい事だけを優先する言動です。

困ったさんです。


父はそれでも相手をしていましたが、若い頃から離婚を何度も考えたのだそうです。

実は離れたく無かったのは母でした。

それでも最期が近くなるとそんな余裕はありません。


ある一部の人にしか心を許さなくなりました。


だから起き上がれなくて自分の劣化が受け容れられなくて、孤高に生き人様に貢献して来た父は、反対になる変化さえ命の終わりを察知してパニックを起こしました。


宥めるように声をかけました。

そうしてようやく耳を傾けてくれ、

吾が子の様に後ろから抱き締めさせてくれた事、

本当に有り難かった。


起き上がるまでの時間は人間の時間ではなく、

父と娘の時間でした。


私は資格を持っていません。

でも力学なら発想でき応用できます。

父に力を貸してもらえれば、2人分の力点になりますから、

支点を取れば作用は増大し、

自分より体の大きい父を起こしてソファーベッドまで連れて行けました。


『何いうてんのん、親子やん♪』


出産後、母と弟に、病気をしたのだって、自分たちの言う事をきかないからだ、と、放り出されそうになった私を助けてくれた父が助けてくれたように。


父は落ち着いてくれ、その後、下の世話をさせてくれました。


いづうのぼんさんの話によれば、

私はこの事を今日まで誰にも言って来なかったけれども、

まるで見てくださっていたのかと思うくらいに、

有り難く拝聴し涙が出てきました。


今でもそうです。

今は喫茶店に居ます。

娘が転校先に馴染めなくて、一緒に来て終わったらここにちゃんと居るからね、と待機です。

息子には訳を丁寧に伝えました。また、一人遊びをしてじっと待ってくれています。


生と死に関わって、命と関わって、それを世間様にいちいちアピールすることなくとも、


いつか、いつしか、通ずるお人が出てきて下さる。


いづうのぼんさんに、

ご挨拶しました。

言葉がなく、ただお顔を拝見してお辞儀をさせていただきました。

涙がいっぱい溢れて来ました。

何を言わずとも察知して下さったようです。

ハグして下さいました。

背中をポンポンとして、エールを送って下さったようでした。

またまた有り難くてもっと泣きました。

もっとお辞儀を深々としました。

満面の笑みで、まるで、(ええんやで、それでええんやで、ようきばりはった(がんばらはった)な。)

と言っていただいたようでした。


同じ場所にいたアーティストの秋人さんも、

同じ様にハグして下さって、

背中をトントンしてくれはって、

『ええねん、ええねん、心が風邪ひくくらい、頑張ってんから、

みんなに助けてもらったらええねん。

そんなん恥ずかしい事やないし、わからへん人ばっかりやないねんで。

しんどい時はたよりや!』って。


大変過ぎて足を運ぶ余裕がありません。

もう少し元気になったらお顔を見せに伺いたいと思います。


長文乱文となりました。


そろそろ娘が戻って来るのでこの辺で。


m(__)m~ドキドキ