はい、そうです、私の母です。ぷぷぷ☆
生前父も、母のそのプライドの高さには本当に参っていました。
謝った事が無い^^;
ぜーったい自分が、自分こそが正しい!
意見の相違があったときは、必ず自分が正しい!!!
子どもながらにこの考え方に、辟易していました^^;
だけど・・・そうして保っていた何かがあったんだと、あるんだ、と、
そうも父は言っていました。
だから、そこかしこで、プライドの高い人とお逢いすると、
母を想い出してしまうのです。
どこまでも、向上したい人、母。
家庭に入るより、本当は、仕事や勉学をしたかったであろう母。
だけど、私が色々思いつめた頃、気の利いた言葉じゃ無く、
いかに自分の方が大変だったか、とか、
『子どもなんて、手枷足枷なんや!』って言わないで欲しかったなあ・・・。
私、その子どもなんですけど・・・^^;
まあ、世間さまに対してはとてもいい人なので、どなたも信じてくれませんが^^;
その分家で発散していたのでしょうね。
男性みたいでしょ。
そうなんです。ほんと男性みたい。
ここでいう男性っていうのはステレオタイプと言われている男性性を指すと思って下さいね~☆
きっとおじいちゃんの影響だな。
母方のおじいちゃんは、軍人さんだったので、本当に本当に怖かったデス。
まだ何もしていないうちから、プリプリ怒ってた。
痛い事しかしなかった・・っていうか出来なかった人。
戦争のせいだね。私はそう思っている。
帰還してからのメンタルケア、全くされていなかったと思う。
転々としちゃったみたいだけど、やっぱり仕事は何かしら続けてたみたい。
そうして、なんと! 私の母は、
25歳になっても、おばあちゃんにお弁当を作って貰って出社していたそうだ!!
これは父の葬儀の際に、叔母に聞いたんだけど、
『ええええええっ☆ そんな話初めて聞いたっ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ☆』
そういう事が多い母でもあるんです。
じゃあ、私はどうしていたかというと、
高校生の時には春休みとか夏休みとか冬休みを利用してアルバイトしていたから、
下着からお弁当から自分でなんとかしていたよ?
『授業料と学校関連費は出す。以外は出さない。』って。
はーいいぃ、って思ってた。
だけど、そういう母も、きょうだいは、中学卒だったから、
きょうだいで率先して、外で稼いできて、家に入れていたみたいで、
それでおじいちゃんたちが生計の足しにしていたみたい。
稼ぎ頭だったんだね・・・。
そりゃ、強気じゃないと仕事出来ないよね。
だから、父の素行は、褒められたもんじゃないけど、
びくともしなかったね。
あの組み合わせは、組み合わさるべくして、組み合わさったんだよ。
互いに、勝気だから、褒めないけどね。めっちゃけなす。
でも、信頼があったからこそ、けなせるんだよね。
本気で喧嘩出来るんだよね。
元気だから、出来たんだよ。
父が臨終の時、叔母に『もっとお父さんと喧嘩したかったやろう・・・?寂しいな、悲しいな。』
って言われた。
叔母は甘えて無い事を知っていた。
みんな必死。本当に必死。
ただ、その必死が、ちょっとしたボタンの掛け違えだったり、
行き違いだったりするんだよね。
いつの間にか、すれ違うようになっただけなのに。
生きているうちに、きっと修復できると信じて、
信じて、
・・・信じたい。
だから、考えて考えて考えて、理解したい。
考え抜いて。
みんな愛すべき人。
愛されるべき人。
うつになってから「べき」は使わない方がいいです、って言われてたけど使うよ。
そう、みんな、愛すべき人、愛されるべき人。
・・・おやすみなさい。
素敵な夢を・・・

