まあ人はそれぞれありますが、
果たして手術台の上で、
そんな事をうんちく言う余裕があるのでしょうか。
既往症が書かれ名前はカタカナ、そして年齢。
衣服を全て脱いで手術着に着替えます。
思春期以降なら親にも見せない露な姿をしてストレッチャーに乗り、
やがて手術台に乗ります。
解っているけど怖いです。
事実私は戻らなくなってしまうところの人でした。
手術だけじゃなく、リハビリも辛かったです。
いくつもの管に繋がれた暗室のような集中治療室。
もう点滴をし過ぎて腕の静脈が固くなって針が入らず、手の甲や足の血管を利用するようになります。
皮膚が薄い所のそれ強烈に痛いんですよ。痛みに対するストレスで鬱状態になったり血圧が上昇したり。
まあほんの一部です。
私が離婚を決めたのには色んな要素を総合的に考えて考えて考え抜き、
各専門部署に頭を下げて順に回って教えを乞いました。
それでも最初からうまくなんて行きません。
足を棒にふり、本当に濡れ衣でも、それで子どもを守れるならと、悔し涙を吹いて、実家に泣きつきたいのを我慢して(成人してましたからね。)、ただひたすら懇願して頭を下げて回りました。
苦労なさっている方は『お願いだから顔を上げて。一緒に考えましょう。どこまで出来るか解らないけど、出きるだけ頑張るわ。』
って言ってくださいます。
ここで苦労するのが嫌だ、巻き込まれるのは嫌だ、旦那を説得してまで助けようとは思わないというスタンスの人は、
未だ何もご支援いただいていないうちから私が何をどう頑張って来たかも知らないのに、勝手な想像でなんとお説教をする人がいるんです。
私は言いたい。
物理的にあなたは私と子どもの将来に一体リアルで小さくともいいから何を貢献して下さいましたか?
という事です。
かこつけで便乗してありもしない事を勝手に考えてレッテルにして。
そういう行為が偏見に繋がるのに。
どうせ人助けを掲げるなら家族も自分の夢も脇に於て一生身を捧げる程の覚悟をしてからなさい。
まあ、それで救われる程度の人を相手にするなら成立するからご自由になさって下さい。
少なくとも私は自分と子どもを肉親には一切頼っていない。
それが唯一譲れないプライドだ。
最後に初めて書きますが、
私は子どもを子供と書く人とは話をしたくありません。
教育学の背景や文化、日本語そのものを学んだ、命を想うとはどういう事かを解り体に染み付けている人は、
絶対子どもを子供のとは表記しません。
歴史や権威ある教育者にたいする冒涜であり、
子どもに対しても冒涜であると考えます。
私はこれらを学んでから、たった一回も子ども以外を使用していません。
以前説明の為に便宜上使った事はあるかもしれませんが、
公の文書で使った事はありません。
今は調子が悪くて臥せっているので、
明日、文部科学省をはじめとする省庁や、
大学のサイトをたくさん見て、どのように表記しているか確認し、
娘にはその大学への進路希望を著しく拒否か、できないならば違うアングルを伝承します。
安定剤二倍飲みました。
今日の診察で過度の疲労なので要観察です。と言われたので、
やっぱり寝ます。
能天気って今生が怖くて刹那的で宗教に…って安直だよね。
さ、研究ネタ考えないと。
じゃねー、バイブぅー

