
天満宮本殿。

梅苑。

更に中に。

寒風の中、躊躇しましたが、案外お清めの水は温かいと感じました。
風で体感温度が下がっていたんですね。
だけど、凛とした空気の中、荘厳な北野天満宮に参拝出来た事は良かったです。
今年は初めのほうに、天満宮に行き、おみくじが一番という初めてのことがあり、
やはり私は学問の神様に人生を捧げたあの頃に戻るべきなのか、
悩みました。けれども、何か足りない気がしていたのです。
そう、未だ、という何か。
それにはやはり人を想う、想い切る気持ちだと思いました。
学問だけを修業しても、その向こうにいるのは人。
自分の思う学問を相手が何も欲してもいないうちから与えては、
それは単なる自己欺瞞という押しつけ。
それは学問を教育に昇華出来ない。そう思いました。
育む事が土台になっている、教育なのです。
まずは、育む事。
それを私に、未だ何も言っていないうちから、何も理解されていないうちから、
理想をつきつけた人がいました。
とても私や子ども達のペースを無視した行為で大変傷つきました。
なので、子ども達には干支の御守りをいただきにあがりました。
干支の御守りは、健康祈願です。
まずは、体があってこそ。
今、心と体が痛んでいるのなら、まずはそこから。
そんな事、年長者なので、御承知だと居ました。
相手の立場を慮れないという意味では、
なんとおかわいそうな御人だと拝察申し上げました。
寂しいのは、可哀相なのは、私や子ども達ではありません。
人の心をもたないその人だと、ようやく解脱できている感覚です。
ずっとずっとずっと騙されていた感覚です。
その人がいう真実は、その人の真実を私に押し付けただけで、
私にとっても必ず真実であると、別人格なのに、どうしてああも、自信をもって、
高圧的だったのでしょう。甚だ疑問です。
洗脳するかのように、毎日、何度も言われ続けていた事があります。
けれど、蓋をあけてみれば、その人が私に説いていた事を、
実践できているとは思えない時期がありましたし、
追い詰められた時に、それは露呈されたように映りました。
なんともお粗末な御話です。
事実なので仕方ありません。
どうしたら、本当にどうしたら、この大地の怒りにも似た強い感情を、
収める事が出来るでしょう。
どうしたら、あらぶる心を鎮める事ができるのでしょう。
私は未熟で、その術を持っていません。
それこそ、もう生きていく力が残っているのか、
全く以て自信がありません。
このまま生きていていいのか、本当に思いつめて、
心を凍らせてふらふらとただ歩いていました。
そんな時に、4人の天使さん達に遭遇したんです。
そう、温かい部屋に入れてくれて、
温かい飲み物を入れてくれて、
心まで温めてくれて、
ようやく血色をとりもどしたようなんです。
まるで今にも、どこかに消え行ってしまいそうな、
そんな相が出ていたのだと、少し顔色が戻ってから、
教えていただきました。
これから私はどうなっていくんでしょう。
私がどうなるか解らないって事は、
子ども達がどうなってしまうのでしょう。
籠りたいです。ただ籠りたい。
そうして出て来れないなら、それでいい。
それくらい心が痛んでいます。
今、籠ることしか思い浮かびません。
虚勢をはってブログを元気よく発信してみましたが、
それも今はどうやら無理をしているようで、
何秒かするとすぐ堕ちてしまいそうです。
いつか、春が、
いつか春がくるのでしょうか。
心の春。
吾子との春。
来ればいいのに。
鐘の音。
鐘の音。
どうか、どうか、安らかにして欲しい。