北野天満宮に始まり、北野天満宮に終わる2012. | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

♪よこしま☆ちゃんの日常♪

~ ゆるゆる生きる ~

$♪よこしまかもしれない日常♪-2012121915190000.jpg

天満宮本殿。


$♪よこしまかもしれない日常♪-2012121915200000.jpg

梅苑。

$♪よこしまかもしれない日常♪-2012121915220000.jpg

更に中に。

$♪よこしまかもしれない日常♪-2012121915210000.jpg

寒風の中、躊躇しましたが、案外お清めの水は温かいと感じました。

風で体感温度が下がっていたんですね。

だけど、凛とした空気の中、荘厳な北野天満宮に参拝出来た事は良かったです。

今年は初めのほうに、天満宮に行き、おみくじが一番という初めてのことがあり、

やはり私は学問の神様に人生を捧げたあの頃に戻るべきなのか、

悩みました。けれども、何か足りない気がしていたのです。

そう、未だ、という何か。

それにはやはり人を想う、想い切る気持ちだと思いました。

学問だけを修業しても、その向こうにいるのは人。

自分の思う学問を相手が何も欲してもいないうちから与えては、

それは単なる自己欺瞞という押しつけ。

それは学問を教育に昇華出来ない。そう思いました。

育む事が土台になっている、教育なのです。

まずは、育む事。

それを私に、未だ何も言っていないうちから、何も理解されていないうちから、

理想をつきつけた人がいました。

とても私や子ども達のペースを無視した行為で大変傷つきました。

なので、子ども達には干支の御守りをいただきにあがりました。

干支の御守りは、健康祈願です。

まずは、体があってこそ。

今、心と体が痛んでいるのなら、まずはそこから。

そんな事、年長者なので、御承知だと居ました。

相手の立場を慮れないという意味では、

なんとおかわいそうな御人だと拝察申し上げました。

寂しいのは、可哀相なのは、私や子ども達ではありません。

人の心をもたないその人だと、ようやく解脱できている感覚です。

ずっとずっとずっと騙されていた感覚です。

その人がいう真実は、その人の真実を私に押し付けただけで、

私にとっても必ず真実であると、別人格なのに、どうしてああも、自信をもって、

高圧的だったのでしょう。甚だ疑問です。

洗脳するかのように、毎日、何度も言われ続けていた事があります。

けれど、蓋をあけてみれば、その人が私に説いていた事を、

実践できているとは思えない時期がありましたし、

追い詰められた時に、それは露呈されたように映りました。

なんともお粗末な御話です。

事実なので仕方ありません。

どうしたら、本当にどうしたら、この大地の怒りにも似た強い感情を、

収める事が出来るでしょう。

どうしたら、あらぶる心を鎮める事ができるのでしょう。

私は未熟で、その術を持っていません。

それこそ、もう生きていく力が残っているのか、

全く以て自信がありません。

このまま生きていていいのか、本当に思いつめて、

心を凍らせてふらふらとただ歩いていました。

そんな時に、4人の天使さん達に遭遇したんです。

そう、温かい部屋に入れてくれて、

温かい飲み物を入れてくれて、

心まで温めてくれて、

ようやく血色をとりもどしたようなんです。

まるで今にも、どこかに消え行ってしまいそうな、

そんな相が出ていたのだと、少し顔色が戻ってから、

教えていただきました。

これから私はどうなっていくんでしょう。

私がどうなるか解らないって事は、

子ども達がどうなってしまうのでしょう。

籠りたいです。ただ籠りたい。

そうして出て来れないなら、それでいい。

それくらい心が痛んでいます。

今、籠ることしか思い浮かびません。

虚勢をはってブログを元気よく発信してみましたが、

それも今はどうやら無理をしているようで、

何秒かするとすぐ堕ちてしまいそうです。

いつか、春が、

いつか春がくるのでしょうか。

心の春。

吾子との春。

来ればいいのに。

鐘の音。

鐘の音。

どうか、どうか、安らかにして欲しい。