少し早いですが、今年も一年ありがとうございました。
ブログを通じて交流させていただき、
それぞれにシビアな状況下に置かれても、
逃げることなく、
その日一日を、どうにかこうにか、なんとか生きる。
それを全うされてこられました。
私も色々ありました。
同級生が乳がんで亡くなり、
娘は一週間前についに頚部を自傷し、
救命救急に助けていただきました。
奇しくも4年前に、同じ事で、
従兄が奥さんと幼子二人遺して急逝してしまっているだけに、
(しかも連絡を受けたのは私の誕生日。忘れないでいて欲しいというメッセージだったのかも。)
本当に救急車が到着するまで、
医師に引き継ぐまで、
医師から状態を伺うまで、
本人の様子が今になるまで、
本当に生きた心地がしませんでした。
吾子が先に旅立たれるほど、
親として辛いことはありません。
20年前に脳出血で言語障害と半身不随になった伯母は、
従兄のそれをどう受け止めていたのでしょう。
昨年後を追うように亡くなりました。
自さつに関しては、偏見がまだまだあります。
娘に関しては、友達とうまくいかなかったり、
学校の先生や医師が頭ごなしに自分を決めつけて、
余計なお世話で叱咤されたりして、
自分のアイデンティティを築く前に、
心が潰された事が原因のようでした。
私に当り散らしているうちに、
私を実際に傷つけてしまったり、
辛辣な言葉を浴びせてしまい、
はた、と我にかえり、
「ひとりで病気や障がいを持っていながら一緒に暮らしていたお母さんになんてことを!
弟の事だって大変なのに。」
そう思って、その理不尽で傷ついた想いを、
自分に向けた結果でした。
6月ごろに手首に始まったとき、
娘の名誉のために、
私が自傷をしたように伝えてしまった人もいます。
ごめんなさい。
目の前でもがいて、もんどりうって、当り散らされるもの辛いけど、
それを自分に向ける吾子を、
平気な心で見れる親が一体どこにいるのでしょう。
それでも、そんな苦しんでいる事を、
どうにかしたくて、
娘は悪くない、この世に来てもらったのは私で、
今の状況にしてしまったのも私だから、
本当に申し訳ないと、思ったから、
苦しい胸の内を御話した人に、
娘につけられた傷を、自分でしたと言ってしまいました。
ごめんなさい。
自傷した人というと、これまた偏見があります。
どうせ偏見を受けるなら、娘の代わりに私が受けます。
そう思っての事でした。
本当にごめんなさい。
私は、心の病気は気質もあると思いますが、
それだけでは発症しないので、
それを発症に至らしめた、
トリガとなった事を、そうした人を、改めない人を、
誠意ない人を、やはり今は許せないでいます。
それでも、目には目を、とすると、キリがないので、
そこはぐっとこらえて、辛抱している次第です。
もうボロボロだし、胃に穴があきそうです。
だから、鐘の音で鎮まって欲しいんです。
そうっとそうっと慎ましやかに地味に生きてきた母子です。
命を想って生きて来ました。
人様を押しのけて生きていこうなど、
思ってもいませんでした。
ちょっかいをかけられたのはこっちで、
それで最後は逆ねじを喰らわされました。
もう何がなんだか、解りません。
そんなこんなの一年でした。
逃げる人はとことん逃げるんですね。
保身に回る人はとことん保身に回るんですね。
自分が発端でも無いのに、取り残された人は、どうなるんでしょう?
それでも今、こうして生きています。
寒いですね。
この寒さは、京都に10年いても堪える寒さです。
みなさま、どうかご自愛下さい。
それぞれに、この一年、どうにかこうにか、
乗り越えて来られました。
もういっぱい頑張って来られました。
少なくとも、今でも私と交流して下さっている、
ブログ友達さんやリアルの友達さんは、
同志です。
本当に生き抜いて来てくれました。
ありがとう。
力を分けてもらいました。
少なくとも見捨てないでいてくれました。
ありがとう。
本当にありがとう。
普段は恥ずかしくて絶対言えないんだけれど、
最近言えるようになって来ました。
みなさんへ愛をこめて。
でも、恥ずかしいし、愛なんて私には未だ使えるほどの人間にはなれていませんから、
私の小さいけれど、繊細過ぎるかもしれないけれど、
それなりの元気玉、
贈ります!!
天まで届け!!!
届いてみなさんのもとへ!!!
やっぱり、愛してる!!!!
命で愛している!!!!
ありがとう。
忘れないでいてくれて、
本当にありがとう。
助けてくれて、
本当にありがとう。