気付かなかった。
無理する事が当たり前で、
無理が出来ないのなら、
生きている価値が無いと、
そういう強迫観念で生きてきた。
生来の私は、
人と争う事を好まない、
至って静かな、
絵を描いたり、
折り紙をしたり、
自然の色とりどりそのものを、
愛でる子どもでした。
大人のそれに巻き込まれ、
抵抗出来ない、
木の葉のような子どもでした。
その傷でしょうか。
私は大人になって、
迎合する事に酷く反発する様になりました。
それでもやはり、
迎合しないと意地悪する大人ばかりで、
気がつくと子どももそうで、
相変わらずの仲間外れ。
ならば、と、
最終決断として、
独りをシェルターとしました。
どうして迎合する以外に、
仲間に入れる術が無いの?
人が恋しい、でも、
人が怖い。
だから一定の無機質なモノに、
逃げ込んだのかもしれない。
惑いの森かもしれないのに。
人が怖い、でも、
ずっとずっと人が恋しかった。
だからまだ何も思ってなかったり、
する前に、
洗脳しないで欲しかった。
大人の権利を行使した、
その業で。