溶けたアイスクリーム | ♪よこしま☆ちゃんの日常♪

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~ ゆるゆる生きる ~

『アイス・・・・食べたい・・・・・』


もう末期の父はやっとのことで言いました。


入院が決まった瞬間から、パタッ!と何も口にしなくなってしまった父がそう言いました。


初夏の暑い暑い暑い日でした。


母は「何いうてんの!売店にそんなもん無かったし、糖尿が酷いんやから、アカン!」と言いました。


私は、もう、闘い疲れている父をどこかで直感したのでしょう。


実家から電車を乗り継ぐがないと辿りつけない病院でした。


見舞に来る時、駅から病院までの延々と続くその道の傍に、


小さな小さな万屋さんがあったのを思い出しました。


「待っててな。買ってくるわ。この子達連れて行くから、時間かかってしまうかもしれへんけど、

待っててな。」


父は小さく頷きました。もう目を閉じたまま、横をむいたまま、腎不全状態で浮腫んだからで、


足は壊死していました。


お姉ちゃんの手を引いて、不思議君を抱いて、買いに行きました。


暑くて暑くて。


子ども達は駄々をこねるかと思いきや、辛抱して歩いてくれました。


コンクリートの道が陽炎を立てていました。


当時は今よりもっとお金が無かったので、


ひとつだけアイスクリームのカップを買いました。


また、長い道を戻りました。


「ごめんな、凄い待って貰ってごめんな。」


病室について、父にそれを渡そうと思って、袋からアイスクリームのカップを取りだそうとすると、


もう食感で解るくらいグニャグニャでした。


カップの器がもう、湿気っていました。


蓋をあけると、もう溶けてしまって、固形部分が小さじで2つくらいしか残っていませんでした。


それを木のおさじのようなスプーンで少しだけすくって、


父の口に入れました。


父は、小さい声で、


『ん・・・』とだけ呟きました。


そうして、


『もう・・・要らん(食べられへん)・・・・』


とまた、こん睡になりました。


父の口に入れてあげた最期です。


母はバカにしました。


一時間もかかって幼子を連れて、もどってきたカップのアイスは、


もう溶けて誰も食べられませんでしたから。


でも、祖母を4歳で亡くした父が、


時代を孤高に生きて、


最期くらい、


赤子にしてあげたかった。


私は、父のお母さんにはなれないけれど、


お母さんになったつもりにはなれると思ったし、


なりたかった。


黙ってついて来てくれた吾子。


傷ついた人を放っておけなかった父。


たとえ相手がそんな素性の人でも。


子どもがお腹にいるときに伯父に死なれた叔母の為、


父は生家をわざと悪態付いて捨てました。


当時は、それでは生きていけなかった姉を思っての事。


伯父の顔を知らずして生れた従兄は昭和32年12月22日生れです。


あともう少しで誕生というときだったそうです。


叔母は錯乱して、早産で仮死状態で従兄を産みました。


その従兄を、17歳しか離れていない、若い父は、


面倒を見て、寝かしつけて、それから井戸水を被って、


4等5落で勉強したそうです。


眠かったらお箸で足を刺したのだそうです。


私は、従兄ばかり可愛がる父に、あまり構って貰えませんでした。


接待でお酒を飲んで朝方帰宅する介抱という形でしか、


実現しませんでした。


4歳の時、妹を産んだ肥立ちが悪くて祖母は亡くなったのだそうです。


その形見のような最愛の妹も、


7歳くらいで亡くなったのだそうです。


色んな話をしましたが、いつも最後は、妹の話で泣きじゃくっていました。


そうして、父のきょうだいは、両親がいなくても、


肩寄せ合って生きて来ました。


そうして父は最期の最期に、母親代わりであった長姉に、


『ねえ(ちゃん)・・・・かえりたい・・・』


と涙をひとつぶこぼしました。


なんのことない、本当は帰りたかった生家。


甘えたかった姉と母親。


なんのことない、無力な私。


バニラのカップのアイスクリーム、


思いだしてしまいます・・・


娘の産後も同じように肥立ちが悪く、危ない状態が続いていた私と娘。


母と弟とは、折り合いが悪く、


何かにつけ、絶対安静の私を外に放り出そうとしました。


たった一度の平均以下も許さない人です。


そんな時、父は、


『俺かって、こんな我儘な娘、呆れてる。でも、元気やったらええわい!


せやけど、今、こんな大変な病気なんや!


しやのに、そんな吾子を放りだす親がどこにいるんや!!!』


と一喝してくれました。


そう、父が亡くなって、私は、父のきょうだいは、


護ってくれる人を喪いました。


私が実家に寄りつかない理由はそれです。


長年積み重なったそれです。


そうして助けてもらった命を、どうして娘は痛めつけてしまうのでしょう・・・


溶けたアイスクリーム、


忘れちゃったのかなあ・・・


良い子なんですよ、ホントは。


父の臨終の時も、ずっと手を握っていたのは、


二人の孫です。


生きるのが下手で、


病気がちで、


理解されにくくて、


心配ばかりかけて。


だから、たとえ指導教官が、


「認定退学でも立派な学歴です」そう仰って下さっても、


伯母たちが生きている間に、


学位を獲りたかった。


この弱い体が、


この弱い心が、


この不器用な生き方が、


憎い。